![]() アゲハが飛んでたんです、 当時住んでいた平屋のアパートのちっさい庭で。 学校でも公園でも見る事の少ない蝶が目の前で飛んでる! それで「もっとそばで見たいな」と思ったわけです。 欲が沸いたのですね。子供でも不純です。 そこで野蛮でバカな子供はアミを探してる間に逃げられてしまうか、 捕まえても羽を傷つけたりして 美しさを減じるという失態をやらかす(そこまで言うな)のですが、 私は当時からミもフタもない方法で 目的に向かって突っ走っていました。 って、大した事じゃないんですけど。 なぜアゲハがウチの庭に居たのかを考えればすぐ分かる事でした。 アゲハは柑橘系の木の葉を食べて育つという知識をゲットしており、 庭にはタネから育ったグレープフルーツの木がある事を思い出し、 「そこか!?」と駆け寄った(約1mの距離)ところ、 すでに孵化したイモちゃんがいたのだから、する事はひとつでした。 育てる。 プラスティックの、金魚も暮らせる小さな虫かごに 葉っぱとイモちゃんを入れた。 虫の生き様はシンプルで大好き。 5mmほどの大きさから5cmくらいまで育ち、 とうとうさなぎにまで成長。 もうワックワクです。夜にさなぎを見て、朝に蝶を見る。 ファンタスティック!! ハイ、目的達成。黄色も黒も。 非線型で飛んでくちょうちょは自由を得てまぶしかった。 で、考えた。これひどい手口だな、と。 成虫になったら「飛んでけ〜」と解放したけど、 虫にもトラウマあるかもしんない。 さなぎまでただ食うだけの生態なら 狭い部屋で暮らしてもストレスにはならないだろうけど、 意思ってもんがあれば大問題。 そんなあれやこれを子供ながらぼんやりと感じた私は 育てる事をやめた。 今でも‘飼う’という言葉は好きではない。 ‘暮らす’でないならひとりでいたほうがマシ。 相手が虫でも動物でも植物でもヒトでも、 支配と従属という関係にはなりたくない。 PR ![]() 追い詰められると逃げ場を探す。 追い詰める人や物事をどかすにはどうしたらよいか。 今まではなんとかしようと対策を練っていたけど、 考え方をちょこっと変える事にした。 どかそうとしない。 もうどんな批判でもイヤミでも誤解でも悲劇でも不運でも 全部受け入れるぞ、こんにゃろ。 だって逃げると追われるんだもん。 で、人は何に追われてるかって‘期待’がそのひとつね。 もちろん自分自身にも追われるわけさ。 期待に背いた罰を与えているのは誰なのか。 私の場合は自由が欲しいから自由を与えるんだけど、 それが「勝手にしろ」に映るらしく、 「冷たい」というお答えが返ってくる。 これまではこのお答えに反論してきたんだけど、やめた。 反論するのは 「冷たくしたつもりはない。あなたに干渉したくないから」 と、自分なりの愛情表現なんだけど、通じないものはしょうがない。 相手が欲しいものを与えられなかったというだけ。 欲しいものを与えてもらえないからと怒りをぶつけるのはお門違い。 このあたり、意識的にコントロールできたらいいのに。 そういった事に気づかせてくれたアナタに感謝です。 *自由を与える事が愛情表現になるのは、母が毎日口癖のように 「あ〜、干渉されたくない束縛されたくない、自由が欲しい!」 と繰り返していたから。 刷り込みってやつでしょうか。 母に愛されたい私にとっては ‘干渉しない・束縛しない’が愛を表現する事になるのです。 しかし人によっては‘干渉する事・束縛する事’が愛なんですよね。 “愛は与える事、そして受け取る事”とはよく言ったもんです。 ![]() 私の口グセです。 興味がなかったり、損得がはっきりしなかったり、 つまりどっちでもいい選択場面での第一声。 ところが状況によって、あるいは相手によって 意味が違ってくる場合があります。 言わずもがな選択の自由がない場合です。 状況:外食時。偏食家にやさしいお店はなかなかないのです。 どこに入っても同じ、という諦めです。 相手:訊いといて「でもこっちの方が」と言う人。 どっちを答えても既にこの人が決めてます。 本当にどうでもいい時はイライラしないんですが、 「なんで私が合わせなきゃなんないのさ」というムカつきは 後々堪えます。 信頼関係が結ばれていれば委ねてもいいだろうけど、 それでも自分で選びたいのです。 我が強いというか意思の自由が欲しいというか。 「私は私、アナタはアナタ」なんですね。表層意識レベルでは。 どちらかが主導権を取らなきゃいけない理由なんかありゃしません。 共通項があれば盛り上がればいいし、 なくても別に、なんてことなしで。 どっちでもいいんです、おもしろけりゃ。 エニアグラムで自分のタイプを診断してみましたん。 タイプ5、でした。ぐうの音も出ません。 自己改革へのアドバイス 突発的な出来事に慣れ、心の動揺に強くなる 諦めずチャレンジする精神を培う 人の集まる所で自分を披露してみる めちゃくちゃありがたいアドバイスです。ぴったり。 弱点見据えて自己コントロールだな、こりゃ。 2011年に改めて診断したらタイプ1に変わっていました。 『エニアグラム研究所』 ![]() 対人関係が苦手な私はやっぱりナルシストなようで。 自分を中心にしか考えられない。湖面に映るは己の姿ばかりなり。 これは‘育ち’というか‘積み重ね’だと。 家庭環境がそれなりに複雑、引越しが多くて村八分、 となれば自然一人でいる時間が多くなる。 よりどころは自分の心だけ。 ここで器用に‘うわべのお付き合いスキル’を身につける人は ナルシストではない。 どこか陰を持ち続けるだろうけど、周囲の動向に気を配るから。 困った事にそのスキルを持たない私は中途半端な注目を浴びる。 例えば「どうして笑わないの?」と訊かれたりする。 「なんで?」と質問返しをすると 「だってみんな笑ってるのに」というお返事。 その人の中では‘みんなが笑う=笑いどころ’って事なんだろか。 別に集団に逆らってるわけじゃなくて、 おもしろくなかったから笑わなかった。そんだけ。 しかしその人もなんで笑わない私に気づくかな。 ‘仲間’に敏感な人は‘仲間外れ’にも敏感か。 性格はいくらでも変えられます(断言)。 生まれた時から真似て成長してきたのだから、 「あんな性格になりたい」と思う人を真似りゃいい。 「でもそれじゃ私でなくなる」という自我の誘惑に負けちゃいけねぇよ。 だってなりたい性格を遠ざけてる事になるからね。 暗示だ、暗示。でも決して「あんな人になりたくない」と念じちゃダメさ。 そうなっちゃうから。 よく「あんな親にだけは似たくなかった」と言う人いるけど、 自分で念じちゃったせいではないかい。 私はなりたい人、懐の深い人にしか近づかない。 これ以上性格悪くすんのもどうかと思うし。 やさしい人々に囲まれて幸せなのは誰よりもアタシ。 こないだ「自分の過ごしやすい環境を作る事に罪悪感がある」 と友達に話したら 「そんな必要ないよ。だってヤなもんはヤなんだから」 とのお答えをいただいた。 次々と私の罪を解消する彼女に 「ステキだ〜、ステキだ〜、スキだ〜」 と告白したのは言うまでも。 あ〜、シアワセにしてもらうばっかりだぁ。 ![]() 私が不安を感じるタイプ、それは… 相づちを打たない人 です。これはね〜、不安ですよ、話している方としては。 「メールの返事が来ない!」って ノイローゼになっちゃう人の気持ちわかるもん。 私はたぶん、聞き上手。そして話し下手。 話していると相手が寝ちゃうか、どこかに魂飛ばされちゃう。 某友達によると「特に電話はダメ! すっごく気持ち良くなって寝ちゃう」って。 私の話し声は耳に障らず、話すスピードもゆるやかで、 話してる内容は取り止めがない、という理由で眠くなるらしい。 熱く語ってるのに。スヤスヤと安らかな寝息を立ててくれるなよ。 「?…もしもし?」って、空しい…。 血液型別ダイエット、というのがあるそうで。 O型は肉類、A型は野菜類、B型は魚類、AB型はAとBの複合、 だったかな? それを中心に食べれば太らないらしい。 私O型だけど、肉類は食べないぞ。 胃酸が多いから肉類、と言ってたけど、 肉なんか食ったら半日は横にならないと回復しない。 うどんとか食べたら太るんだとさ。 だからロクに食べなくてもガリガリにならないのか。 なんだか当たってるんだか外れてるんだか、わかりゃせん。 ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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