![]() コーヒーは心臓に負担がかかり、瞳孔が開くのでダメです。 紅茶はすっぱくてダメです。 そんなわけでケーキ類は牛乳でいただきます。 が、洋酒をふんだんに使ったケーキはダメです。酔います。 にんにくはその威力に負けるのでダメです。 イタリアンは好きですが、食べると顔が熱くなります。 シソはくさいのでダメです。くさくてすっぱい梅干しダメです。 シナモンダメ、わさびダメ、からしダメ、おでんはつみれと昆布がダメ、 ピーマン全色ダメ、バジルダメ、春菊ダメ、それからそれから…。 「肉・魚介類食べない」と言っただけで 「何食べてんの?」と不思議がられます。 食べ物にはそんなに苦労しません、日本ですから。 相変わらずの飽食。生ゴミの量を知る度、 その分飢餓の国に寄付すれば、って感じです。 お酒の飲めない私は大人のお付き合いに不慣れです。 お酒を飲む人に「酔う事でストレスはなくなるの?」と訊いたら 「ぜんぜん!」と言われました。 そもそもその人はかなりお酒に強く、つぶそうと企む 不埒な男どもを次々と撃沈させていくほどです。 ストレス発散どころか、酔っ払いのストレスくらって いい迷惑だそうです。 昔友達と4人で居酒屋に行き、 「さ、帰るべぇ」と外に出たらば 私を「カラオケ行かない?」と誘う人が現れました。 「うわ、怖い」と怯える人見知りの私を 友達A:「はいはい、行きませんよ〜。もう帰るからね〜」と促し、 友達B:「ん〜、でも結構キレイな顔の子だったよ〜」と ルックス重視な発言で笑わせ、 友達C:「なんでだろ?ファニーフェイスだからかなぁ?」と 私の顔オチで慰めてくれました。 いい思い出。カラオケなんか、熱が出るから行きません! PR ![]() コニシとは4−D(ex.P-MODEL)の小西健司さんの事です。 私はいわゆる‘ヒゲ部’に所属しており (勝手にリンクすみません。本部?はコチラ→http://www4.dewa.or.jp/p-ushi/)、 「5月24日はコニシの日」というお知らせを受けまして、 お祝いを書き込んできました。 で、‘好きな曲をひとつ’というお題をいただき、 たぶん、1曲に絞れなくても怒られはしないと思いつつ、 無理矢理「Affirmation」を選びました。 この曲はリズムとメロの距離がかなり遠いのに 不思議とバランスが取れているのです。 決め手はこのわかりやすい‘妙’でした。 どうもコラージュが好きなのか、 異質と感じられるものの融合に感動を覚えます。 リスナーが音楽屋としての小西さんを感じられるのは 作品を受信してからなのです。 活動再開祈願! ![]() 私にはいく度か不幸に見舞われた経験があるのですが、 こういった話は時に「あなただけが不幸なのではない」と、 その人自身や誰かの不幸を持ち出されて 非難されるか同情されるかします。 ただの経験談なのですが。 そもそも不幸を比較する事自体、とんでもない話だと思うのですよ。 「あなたはまだマシ」、あるいは「あなたってカワイソウ」。 中にはただの経験談として受けてくれる人もいます。 が、あんまりいません。 ラッキーにもそういう人に出会えたら大切にしたいと思うのです。 で、ラッキーの話。 その昔、渋谷のLoftに本屋さんがありまして、 そこで太田蛍一著『働く僕ら』を手に取りました。 2冊あった内どちらを選ぼうかとしばらく悩んで 一方を選びキャッシャーに向かう途上、 なぜか気になって『働く僕ら』の場所に戻ったのです。 そしてそこにあるもう1冊をパラパラ…!? う〜ん、太田氏直筆のイラスト&サインが入ってたんですねぇ。 迷わずそっちを買いましたよ。 ほんの数分前には書かれていなかったサイン…。 ホントは私以外の人に買って欲しかったのかもしれませんが、 もう遅い。 作者さんはゲリラ的にこういう事をやらかすのでしょうか? 私もなぜ戻ったのか、不思議でございますね。 こういうラッキーがあるから感覚を閉じたくないのですよ。 しかし太田氏本人の姿は見つけられなかったのでした…。 ![]() 宮崎駿さんの作品、観てると「偽善だなぁ」と感じるんだけど、 「そんな風になったらいいよねぇ」とも感じたり。 私には具体的な‘郷愁の念’はなく、 親のいる場所が故郷であって、‘地’ではない。 それに親元を離れてもいないので、‘懐古の念’もなく。 つまり振り返るチャンスがないわけで、 未来的ではない宮崎さんの作品には距離感が生まれる。 純粋に自然との共生・共存を望んでいたり、 繋がりを重視してる作品かもしれない。 それでもなんか…過去を見せられて 「オマエ達のしてきた事、見ろ」と叱られてるようで。 とても子供向けの作品じゃない。 トトロではしゃぐ子供達に罪の意識を感じるのは年くった証拠かねぇ? ちなみに『ナウシカ』では きょしんへいが立ち上がろうとするシーンが好きさ。 後にあのシーンは『エヴァ』の庵野さんが担当したと聞き、 ちょっとうしろめたい…。 正論に反発したくなる時ってございませんか? 認めてるからこそ、 「いや、そっちじゃなくてさ」と風穴を開けたいような。 自分にとって有意義な方向に壁を崩して行きたいんだけど、 正論に阻まれてうまくいかない。 「ああ、そんな手順なんかぶっとばしたい!」っていう。 例えがないと伝わりませんか。 ウッチャンナンチャンもネタにしていた“社交辞令”の事です。 みんな仲良し、はたいへん美しゅうございますよ、ええ。 でもニコニコ顔でウソをつくのは悪徳だとさえ思うんです。 私もすみっこながら社会に属してるのでそこらへんを、 わずかながら心得ているつもりですが、 役割をうまく演じすぎている方と出会うと混乱いたします。 「あ〜、この人やさしい〜」となついてたのに、 ある日突然「いいかげんにしろ!」って怒られたり。 ガマンを表に出してくんないとわかんないよぅ〜。 暗黙の了解、私はそれを‘甘え’だと思っております。 カンペキな相互理解というのはたいへん難しい事です。 なぜ人は言葉を使うのか。手話を使うのか。点字を使うのか。 もっともっとハッキリ 相手に言わんとしている事を伝えたいからではないかい? 伝える気がない、伝わった気でいる人々は不満を募らせる。 「こんなに何も言わずにガマンしてるのに」。 何も言わないから伝わらないのです。吐け。 ![]() 自分が特殊だとは思わないけど、 言葉の受け取り方がおかしいっていう自覚はある。 とんでもない方向だったり、先に進みすぎたり遅れすぎたり。 例えば小さい頃、 母の「ここはXX(場所)のはずれだね」に 「じゃああたりはどこなの?」と答えた。 相手がどこをポイントにしてしゃべってるのか、わからないのだ。 ある人に「枝ばかり見てて幹を見てない」と言われたが、 その通りだろう。 なぁんでこうなっちゃったかなぁ。 「バカ」って一言で片付けられてもいいけど。 でもねぇ(言い訳開始)、私には‘当たり前’がないからねぇ。 幹のない私に幹を見ろったって、難しいよ。だからおべんきょ中。 ‘当然’という言葉を本気で使っちゃう人ってどうよ? それ‘あなたの当然’でしょ?って思う事多々あり。 不平・不満を言うのは簡単。 だけどそっから先をアドバイスする人は少ない。 「なんでそこまでしてやらなきゃならないんだ!」と言う人には 「なんでそこまでしてもらおうと思ってんの?」てなもん。 文句言うならオマエやれ。 「アメリカインディアンの教え」を読んだ。 嫌われた、という事を自分の評価に繋げてはいけないって。 私はコレをずっとやってきた。 人の不機嫌には敏感で、取り繕うために必死になる。 「ヤダ」と言えずにガマンをして、 でも心底では腹を立て続けてついには爆発。 ‘ふり’は自己保身でしかないのだな。 自分を可愛がってたら思いやりはいつまでたっても生まれないや。 こういう知識だけ増えるのは困ったもんなんだけど。 ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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