![]() 中野テルヲ「1/1 Loading Plan」。 CD1枚に収録されている曲は1曲のみ。 CDという‘モノ’に価値を持たせ、デザインも凝っている。 それが400円て。 本当に破壊価格。 パッケージ(というか、印刷されてるとこ)だけ売るってのはダメかなぁ。 曲はネットからダウンロードして、 そのデータを記憶媒体に移すセルフサービス。 私はコレクターではないし、整理整頓好き(掃除はキライ)だから モノは増やしたくなくて。 つい「まだ容量あるのに」とびんぼクサイ考え方になる。 ある場所でおもしろいページがリンクされていたので、 勝手ではありますが(※)。 その結果(1/3) 日刊yh001 7/25(水) 評論家yh001 ”一言評論”で人気のyh001が、都内の書店でサイン会を行った。 yh001は以前、 ラスベガスでの世界マジック大会の審査員を勤めた際、 「っていうか、こんなの手品じゃん」と言い放った猛者。 「自分イズム」、「イズムis自分」などという 飲み屋での会話並の論理で特異なキャラクターを確立している。 この日のサイン会で、yh001はファンの一人一人に コメントを書き添えるというサービスをした。 しかし、その内容は「人生だもの、yh001」や、 ネコが行方不明という女性に対しての「行方不明だからネコなの。 居場所が分かったら犬でしょ」などというものばかり。 yh001は持参した”ウーロン茶”を飲んでは上機嫌だった。 感想:ウーロン茶を持参してるとこがリアル。詭弁リアル。猛者リアル。 ※URL無効にてカット。ハンドルを入力すると 新聞の記事が自動で作られるサイトだったと記憶。 PR ![]() 議論の番組は好きなので見る。この番組もたまに見る。 あの娘さんにはなぜか周りの人をガマンさせる力がある、 というか、子供っぽさを象徴させるためのモデルかもしれない。 毎度毎度議題から脱線させて同じ話を繰り返し、 自分がいかにカワイソウであるかを披露する。 「またかよ」と言わない参加メンバー達はなんと‘大人’である事か。 その娘さんが主張しているのは 「尊敬できる大人がいない。なぜならウチの親が…」と、 自らの親を引き合いに出し、しかも依存している事に気づいていない、 いかにも子供的なもの。 だから他の参加者に「じゃあ家出れば?」って言われる。 精神的に自立できていない事を見抜かれたのにも気づかず、 それに対して「親が子供を面倒見るのは当たり前でしょ? 勝手に生んだんだし」と答える。 ダメな自分を正当化するために親を嫌ってるのではないか? 「こんな自分は大嫌い。誰のせい?私のせいじゃない。 身勝手な親が悪い」ってとこか。 親(他者)をコントロールしようとはいい根性。 欲しいタイプの愛情を親に求めても、 親自身がそのタイプの愛情を与えられてないのだから、 与えられないのだよ。ないものねだりっていうやつ。 さっさと親との距離を広げて 自分を中心に考えられるようになれたらいいね。 そうすれば犠牲感や絶望感からも離れられる。 ある時期から親と友達関係のようになる。 両親に子供の頃私が感じていた事をババーッと話したら、 大反省してた。 「あの時は若かったから」と言っていたけど、 そう、親も若かったのだ(私は20代前半の子)。 自分の年齢を考えれば 「そりゃあカンペキな人間像を求められたらかなわんわ」と思う。 だって私は今でもライブだなんだと遊んでるし。 享楽的なとこは母に、楽観的なとこは父に似た。 ![]() 私の関心は人間関係しかないのかい。 人との付き合い方にも個性があって、‘いつでもどこでもこの人と’や、 ‘どこそこに行くならこの人と’などがある。 私は後者。元々ひとりで行動する事が多いから目的の方が先に立つ。 それから、「あの人も(映画であれば)観たいって言ってたなぁ。 誘ってみようか」となる。 で、断られればひとりで行く。 「断られた…。嫌われてるのかなぁ」ってのはない。 だから逆の立場でも誘いを断る自由があると思っている。けども。 「あなたが来ないのでは意味がない」 「せっかく誘ってあげたのに」 こんな言い方をされたら罪悪感背負っちゃうじゃないか。 自分の望みを相手が叶えてくれるとは限らないのだよ。 ある会話が耳に入った。 「ねぇ、○日は誰のライブ行ったの?」「××。おもしろかったよ」 「でもさー、それって浮気じゃん。ひとりにしぼらないと」とかなんとか。 付き合っとんのか(怒) (↑嫉妬じゃなくて。ただのファンだったみたいだし) あ〜、開場まで時間があるせいだ! こんなアホウな会話聞きたくなかった! 例えば「P-MODELが好き」と言った時に 「どのメンバーが好きなの?」と返されるような。 どうして誰かを選んで好きにならなきゃいけないのか。 この‘好き’は明らかに恋愛感情での ‘好き’を訊いていると思うのだけど、なんで? 街中でお気に入りの音楽を作っている人を見かけても近づかない。 それは相手を気遣ってるのじゃなくて、近づく理由がないから。 って、いかにも理屈屋の考え方 (理由や目的がはっきりしないと動けない)だな。 相手の「そこから入るな」はわからないので、 「そこからは入りたくない・入れない・入ろうと思わない」を意識する。 ![]() 平沢さんの事はもういいか、と昨日宣言したばっかなのにこの有り様。 ちょっと前のダ・ヴィンチ(岡野玲子×平沢進対談)を読み返した。 対談中、‘自立派’と‘従順派’という表現があった。 私は自立派を‘自分の意思を尊重する’人達、 従順派を‘平沢さんの意思に従う’人達と受け取った。 ファンの間だけで解釈すれば、 従順派は‘他のファンの選択に従う’人達か。 本当に、解釈をひとつにできない優柔不断はなんとかならんものか。 なぜあのエンディング(インタラ『賢者のプロペラ』最終日)で 感動したか。 すごくネガティブなんだけど、 同じアーティストを好きなだけでファンが協力し合うなんて ほとんど‘有り得ない’と思っているから。 ネットに繋がっていなければ、 情報を収集・(こっそり)公開しなければ 辿り着かなかったハッピー・エンディングは、 ファンに創造力や積極性を求めた平沢さんの意思の現れだろうか? 最終日のインタラでハッピーを感じた人もいれば アンハッピーを感じた人もいるだろう。 私はだから、 ‘あんなに意思の強いファンが協力し合ったなんて!’というハッピー。 ネクラだね。 インタラの目的や意味や意図を考えた時、協力を選択したのは 私の抱く‘コミュニケーションへの絶望’が第一の理由である。 第二は‘別のエンディング見たい’。 スクリーンに向かってファンが声を張り上げるのは、 遮断されたから、黄色い声で平沢さんを ‘呼んでもどうにもならない’から ‘呼ばないとどうにもならない’へと変化したから。かも。 私にとってインタラは平沢さんとのお遊び。お仕事はノンインタラ。 秋には仕事が見られるのだ。楽しみなのだ。 ![]() 平沢さんのお仕事はまぁ、ひと段落ついたのでまたいつか。 と、宣言すると目新しい事すっから困っちゃうんだけど。 恋愛について書く。これは序の口。 発展形はのちほど(いつになるかなぁ?)。 さて、私は恋をすっとばして愛に向かうらしい。 参考にした定義は美輪明宏著『獅子の座ぶとん』。引用します。 恋とは 自分本位に人を好きになる感情です。 理性の入り込む余地はありません。 相手の人がどんなタイプの人を好きなのかどうか調べようともせず、 また相手の気持ち等全く無視して、 ただただ自分勝手に相手のあそこが好きここが好き、 相手の身体が欲しいと自分の気持ちと欲望だけが、 相手の気持ちよりも先行している状態を恋といいます。 愛とは 恋から始まった自分本位の好きだという感情が、 進行して高いところへ昇華して、理性的な心となったものです。 すべてが相手本位になります。 嫌がられれば遠くから見守ってやり、 困ったような時は役に立とうとする心です。 相手が満ち足りた幸福そうな顔をしているのを見て、 自分も本当に満足した幸福感にひたれる心です。 ですから、恋は苦しみます。 愛までたどりつかないから苦しむのです。 以上、引用でした。 恋の段階を経ないので、愛とは言えないかもしれないけど、 私は基本的に相手の気持ちを考えようとします。 そのせいか、欲まみれの人間には敏感です。 「ああしてくれ、こうしてくれ」、 こういった要求を察知して逃げるのですが、 相手は全く気づきません。たいてい「こんなにしてあげたのに」と 感謝まで要求してきます。 相手の事を考えずに提供するのは、‘奪うための手段’です。 拒絶されたなら離れるのが一番。 執着して嫌われるのは本当にみっともない。 と、考える私は相手の気持ちが恋から愛に進行するのを 待てなかったりする。ダメだこりゃ。 ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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