![]() 祖母が入院したと知ってから毎日のように母が言う。 「行った方がいいかなあ。でも」と。 ‘でも’以降は勝手な憶測や旅費工面などの言い訳が続き、 最後には「さわだちゃ〜ん、決めて〜」と甘える。 はて、行きたいけど行けないのか、 行かなくていい理由を探しているのか。 責任取らされたりしないから別にいいけど、 自分で答えを出さないのはズルイんだよ。と説教しつつ、 「行く・行かない、気が済むのは‘行く’でしょ? 行きゃいいじゃん。旅費は月々のお支払い!」。 6月8日(金) 出発3分前に機内へ。小さい頃から遅刻上等の親子。すみません。 熊本到着。ホテルに荷物を置いてからバスで母の実家へ。 18時頃。青い夕焼け。 到着。 今にも倒れそうな家に入り、 叔母が用意してくれた晩御飯をご馳走になる。 食後、祖父が「久しぶりに屁〜ば出た」。とんだご挨拶だよ(笑)。 母もテンション上がりまくって喋り通し。 22時くらいまで近況と思い出話に花を咲かせ、明日の予定を確認。 タクシーでホテルへ。 6月9日(土) 朝御飯を近所の喫茶店で済ませて再びバスで実家へ。 おー、だーが来てんいっちょん吠えんバカんごた犬のおったぞ。 (似非熊本弁訳:おっ、誰が来ても全然吠えないバカ犬がいたぞ) 昨日は夜でよくわからなかったけど、コーギーだったか。 名前は?「パリ」。何で?「フランスだけん」。 午後4時頃に向かう予定だったが、 母は「あんなに喜んでくれたから、驚かそうと思って」。 む〜ん、祖父は心の準備が必要な人だから怒ると思うぞ。 果たして怒られる母。 親が叱られてしょんぼりする姿見るって新鮮。 朝買っておいたパンとスイカをいただいた後、お昼寝。 起きたら「カーカーいびきかいとったぞ」。 だって疲れてるんだもん。 お気楽な里帰り気分だけど、今回の主目的は祖母のお見舞い。 入院先は遠い為、叔父に送ってもらう事になっていた。 しかし息子さん(従兄弟。大学生)がバドミントンの試合だかで、 こちらの用事をサッサと片付けてしまいたい様子。 というのは後に知った事。 始めから言ってくれてればこっちも合わせたのに。 気の遣い場所が少々ズレている叔父である。 山奥にある病院に到着。認知症患者収容施設に入るのは初めて。 職員のカギ無しには病室へのエレベーターを使えないシステムに 少し驚くも納得。祖母はちょうど夕食時で不在。 ベッド、窓、小さな収納ボックス以外には壁しかない、 まるで刑務所(母談)な病室前で待つ事に。 待合室無いのか…? 院内を流れる単調な音楽は慣れるにつれ耳に入らなくなったが、 これが毎日続いているのかと思うと寒気がする。 「老いは感覚さえ奪うか」などと考えていると、祖母が現れた。 家にいた頃とは格段に整えられた髪や指を見て泣く母。 祖母の方は母と私の事をすっかり忘れきって他人行儀だ。 母は思い出させようと必死に 「よくケンカしてた相手!」とか言っているが、 それはヒントになるのだろうか。しかも耳悪くないのに大声で。 そしてこちらに向いて「孫!私の娘!」。だから、声デカイって。 ねぇお母さん、聞こえないから認識しないんじゃないんだよ。 祖母との確執を聞かされていた私は 母の心情を察して何ともいえない気持ちになった。 ひどく虐げられても思い出して欲しいと願うのか。心は複雑だ。 ここでも近況と思い出話に終始。 ほどなく叔父が「あと5分」と急かす。 いつでも会える自分の息子の為に急かす。 廊下のテレビ前は 『恋のから騒ぎ』を見る為に集まった人々でいっぱい。 その前を通る時、自由に動ける自分がとても恵まれてるように感じた。 更にエレベーターの中から見た、向こう側に立つ祖母の笑顔。 手を振りながら渦巻く思考。 祖父母はどこへ行くにも一緒の仲良し夫婦。 移動は自転車ふたり乗り。 それが現在離れ離れ。 もし近場の病院なら、祖父は足が悪くても毎日通うだろう。 そして「帰りたい」と願う祖母を思い、母は怒り心頭。 老い先短い親に対して非情な仕打ちだと、私も思う。 (その理由については身内の恥と叱られるかもしれないので割愛) 帰りの車内は言いたい放題。歯に衣着せぬとはこの事か。 しばらくして祖父はお疲れ様で居眠り。母は元凶の長兄を糾弾し、 その話相手をする叔父は息子の心配をしながら、道すがらに 「ここに6年おった。隣りのクラスに森高千里がおった。 担任やったらね〜。惜しかったー!」と自慢。 ちなみに叔父は中学教師。 もうすぐ家、の辺りで祖父がスーパーに寄りたいと言う。 予定が詰まっている叔父は断固反対。 しかしタクシーは使わせたくないらしい。 「ゆっくり急いで」との言葉に笑うも、 足の悪い祖父への思いやりはあるのかどうか。 5分で買い物を済ませられる訳はなく、叔父はカンカン。 「もう買わんと、そこに(カート)置いて早く車に乗りなさい!」 「だからタクシーで帰るって!」とケンカ勃発。 そうなんだよ、そんなに忙しいなら帰っていいんだよ。 でも帰らない。それが家族の絆ってやつなんだろうか。 実家到着。プンプンで帰って行く叔父に母が礼を述べると、 「いつ逝くかわからないから、来年もいらっしゃい」。 来年…。時期はともかく、ハッキリ母と決めた事がある。 「次は絶対レンタカー!」(笑)。 祖母の処遇について私の意見を聞きたいと祖父。 第三者なら正しい判断をしてくれるだろうと。 双方の意見を聞かない限り、あまり強く云えないんだけど、 やっぱり重度の認知症ではない祖母を山奥に閉じ込めるのは酷い。 しかし現状打破は至難の業。 叔父(長兄)が自分の利と正しさを曲げない限り。 母も私も何とかしてあげたいけど…。 そう言うと「育て方を間違えた」と悔やんでいた。 「キレイなおなごと一緒になっとれば、 キレイな子供がいっぱい生まれた」とか、 そういう事言うから叔父はグレたんじゃないか?(笑) 22時過ぎ、タクシーを呼んでもらう。待つ間、門の所で少し話す。 「60くらいで死にたかった。生ききらん。 棺桶に片足ば突っ込んどる」と祖父。 御年93。長身・細身・色白・男前で面白くて優しいから、 若かりし頃からモテモテ。 今だ出かける時には帽子とサングラス必須のオシャレさん。 孫の私に「すっかりジジイになってガッカリしたろ?」 と聞く色気があるんだから、しばらくは大丈夫でしょ。 もちろん死神博士みたいだなんて言わなかったよ。男は繊細。 でも体はどうしても老いるから。 長生きを求めるのはこちらのエゴかもしれない。 別れを告げて一路ホテルへ。 深夜だが食事にしようと、気になっていた洋食屋に向かう。 メニューはイタリアンなのに、 入ったらプレスリー流れるアメリカン・ダイナーで驚いた。 「グラスおっきいね〜」とか言いながら、母とドップリ話し込む。 私は心が冷え切ってて、立場や能力、役割を考えて すぐに諦める性格だから祖父母について悩み苦しみ 引きずる事はないけれど、母は違う。 たくさん話を聞いて、精神的負担を増やさないようにしなくては。 食事の後、腹ごなしに歩く。 広場ではヤング達がスケボーに興じている。 視線が痛いと思ったら、そういや女性を見かけない。いてもカップル。 そうか、熊本では深夜出歩く女は珍しいのか (いや、全国的に珍しいだろうよ)。 熊本城前まで歩いて、ホテルへ戻る。 PR ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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