![]() 4月23日(土) 母は私に苦労させたくないと言う。 身内の不幸を経験するには早過ぎると。 …私が中学生の頃、一緒に曾祖母のお葬式に出たのに。 「明日、おじいさんの見舞いだって!」と話せば 「(祖父に)会わせたくないなぁ。生気取られるでしょ。 ゴリラ(=叔母。父の姉)に何か言われたら、すぐ帰っていいから」。 確かに生気は取られる。でも父がテンパッてて危ない。 4月24日(日) 病室に入り、ベッド脇の椅子に座ると、 意識のない祖父の目がこちらを向いている。 なんとなく「…まだ大丈夫だな」と思う。 話は出来ないので、言葉で伝えられない事を心で。 「もう少し生きたいんじゃないの? ちょっとエネルギーあげるけど、 来る時が来たら光に向かって歩いてね」 アッという間に1時間経過。気を遣ってもらい、退室するよう促される。 父はやはりテンパッていた。インロックして帰れない。 4月26日(火) 昼休み、父が涙声で祖父が意識不明だと携帯から連絡。 午後から仕事を休んで欲しいと言うが、断る。 母の日に備えて花屋は大忙しなのだ。 祖父の縁故で雇ってもらった所だし、感謝の身代わりをしたい。 病院にいる父にメールで容態を聞く。持ち直した。 4月27日(水) 祖父が10時35分過ぎに亡くなったと父からメール。 昼休みで一旦帰宅。祖父宅には既に遺体が運ばれていた。 また午後から休んで欲しいと言われるが、断る。 事実、様々な手続きに必要な情報を持たない私は役立たずだ。 父の手を煩わせるだけなら、いない方がいい。 夜、お葬式の予定を知らせる為、社長の奥様に電話。 出勤日数を変えずに調整する旨伝えると、 受話器の向こうから安堵の声。 しばらくしてお線香を上げに出向き、軽く明日の打ち合わせ。 4月28日(木) お通夜の日。遺体のお清めなどを経て、催事場へ。 立派な祭壇の前で手を合わせ、冥福を祈る。 社長がいらして下さった。 ストレス性か、まぶたが痙攣しっぱなし。 4月29日(金) 火葬場でお骨を拾い、骨壷へ。 催事場へ戻り、告別式。 生前の姿を司会者は「強くしなやかな若竹のよう」と表現した。 また、「芸人さんだった」と。 一度聴いただけでメロディを覚えてハーモニカで演奏したとか、 バイオリン弾いたとか安来節踊ったとか。知らなかった。 私の知る祖父は相撲の相手をしてくれた事と、 お年玉が毎年500円札1枚だったって事だけ。 疎遠になった原因。 小学生の頃、いつものように相撲を取っていた所、 初めて勝たせてくれたのを喜び過ぎたのが気に障ったのか、 祖父は私の足首を持って逆さ吊り、軽くだがそのまま落とした。 その時に首がグキッ!と鳴り、痛めた。 その恐怖から、避けるようになった私を祖父はどう思っていたろうか。 読経は引導へと変わり、その道筋を頭に浮かべていたら、 涙がポロポロ出て来た。 印象に残った言葉 「背中に乗ってくから気を付けな〜!」 (そんな言霊飛ばさないでくれ…) 「練習だと思って」(祖父に失礼だよ。お葬式はいつでも本番) 4月30日(土) 出勤すると周りから労いの言葉。 いつも思う事だけど、 どうして私みたいなもんに人は親切にして下さるのか。 帰って母に報告すると、「だってすごい顔色悪いよ」と言われた。 まぶたの痙攣は昨日がピークだったし、 肩の荷が下りて安心していたのに、「灰色だよ」と。 燃え尽きたか。 それにしても父方の親戚、女性陣の言葉遣いがものすごく汚かった。 PR ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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