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L-MESS
「これカッコイイ!」と、
『EARTH BORN』6曲目にして初めて作曲者をチェックした。
・英詞だけど曲調で理解出来る。
・アラブ風こぶし回しとロックな歌唱の相乗効果。
・ラストに向けてのクラシック風弦無しストリングスアレンジ。
イスラームにアメリカやヨーロッパが介入して来る感じ。

遠藤さんの身体表現にはアテぶり以上の示唆的なものがあって、
有明コロシアムで演奏された時には
操り人形のように踊っていたのを思い出す。
曲だけでなくこの表現も好きだったのだけど、
以降は披露されず(曲は1〜2回アリ)。

MARBLE
これいい詞だな〜。すごくいい詞。
この、どういいんだか表現出来ない感じはいい詩を読んだ時と同じ。
人間の営んだ社会を盤上で行われるゲーム
‘おはじき’に例えてるのが、
暗に幼稚さも匂わせているようで、すごい。

MEDDLER
DEAD CAN DANCEのあの曲まんまじゃん!(曲名忘れた)
と、これだけで終わらせない力は歌。

リマスターで打楽器が押し出され、
幻想的なだけだった印象が肉体を持った感じに。

MIDARA(PORTE DEVERGONDEE)
(↑文字化け防止にてフランス語表記自粛)
藤井さんがインタビューで書籍『みだらな扉』を挙げていた。
たまたま寄った本屋(渋谷LOFT)で実物を発見、
真っ赤な装丁にも惹かれつつ、
芸術品として見れば出してもいい値段ながら「高い…」と断念した。
だから、どんな話だかは知らない。
けど、藤井さんが評価するのだから大変みだらな書に違いない。
そして、遠藤さんの考えるみだらを詞から汲み取る。
個人の性的欲望一辺倒にならず、「色めいた世界を〜」で
社会面へと発展させてる所が客観的。俯瞰的。
曲はそういう気持ちに持ってく段階を十分に表現してて、
悶々とさせられる。
みだりにリスナーを欲情させないようにお願いしたい。

曲最後に聞こえる扉が開閉する音。鉄製。

MUCH OF MADNESS,MORE OF SIN
『3』の各メンバー個人制作品が
三者三様を際立たせる目的の元に作られたのだとしたら、
藤井さんのが一番好み。
曲も詞も攻撃的なのに利己的な暴力を振るってない。
高次の理性や知性を持っていても引っ込まず、
自己中心的理不尽に真っ向から非難の矢を放つ。
カッコイイ!

唯一ライブで披露された時は最前列という好位置にいながら
ヘドバンしててほとんど見てなかったけれども(笑)、
今でもその情景は強く記憶に残ってる。
当時してたビン底メガネを椅子に置いてまで頭振った。
「見えなくてもいい!」って、音楽に集中出来た証拠。
でもその後すぐコンタクトにした。

NECRON
有明コロシアム柿落としライブは
会場までバスで行くというのが面倒で行かなかった。
テニスの試合で使う会場とも聞き、
残響が酷いはずだと思って行かなかった。
こうして二度も「行かなかった」と繰り返したのは
収録されたビデオ観て「行けばよかった」と後悔したから。
このSEも良くて、当時、ちゃんとした音で聴きたくて
シングルの「EGO DANCE」を買った。
高揚感を煽る役目のSEを
サスペンスタッチにしたアイデアは藤井さんだろうか。
ライブが嫌過ぎて客を脅したかったのだとしても、
ワクワクの裏にはゾクゾクが潜んでる訳で。
映画音楽のような効果が出ててカッコイイ。

NEEDLE
ずっと「なんで針?」と謎に思っていた。
後にENDS「FIGHTER COUNTER」の歌詞
「巨象 針仕事~」を聴いてそういう意味かな?と。
何年越しだよって話。

英語バージョンも好きだけど、
オリジナルは日本語だから意味がスッと入るし、
藤井さんの怒声と遠藤さんのウィスパーが良いバランスで。

この曲で初めて遠藤さんの声質の良さに気付いた。
それまでは随分と地味で下手なヴォーカリストを
フロントに立たせたものだと、変な勇気をSBに感じていた
(その後、大変な加速度で良い方向に化けて下さって、
 感謝の心持)。
初めて観たライブ(1990年10月29日渋谷公会堂)は
女の子のお客さんばっかりで、
間違った場所に来てしまったかもしれないと感じた。
しかし、観終わった時には
「なんで男が来ないんだ」と不思議に思った。
ボディミュージックだからゲイカルチャーな方向に見られてたとか?
それでも藤井さんと遠藤さんは男惚れする対象にはなりそうだけど。
ゆえに、良くも悪くも森岡さんの存在が
どういう受け入れられ方をするかが鍵になる気がした。
そして、現在があると思う。

NO ONE LIVES ON MARS
無人の火星とキッチンで料理、の関連性が見出せなくて
近未来SFな方向で解釈、深入り無し。

『FORM』での、
この曲から「LAST SONG」への繋げ方が粋で好きだった。
であるがゆえに
BOXでのアルファベット順収録を残念に思っていた所、
リピート再生すればそれがほぼ叶う偶然を嬉しく感じた。
どうしても間が空くからオリジナルの方が断然上ではあるけれど。

7[No-Ph]
NO PLEASURE
アルバム再生して30秒が勝負。つまらなかったら…
一応全部聴いてみて(←ここ‘もったいないオバケ’)、
やっぱりダメならゴミ箱行き。以降は聴く耳持たず。
こういう音楽との付き合い方をしているだけに、
この曲の軽さ(音圧が弱い?)が惜しくてならなかった。

第一活動期ライブでは定番と化していたが、
アレンジの変化も影響してか、回を重ねるほど
入りを見失って行く遠藤さんが気の毒であった。

NOCTURNE
オープニングSEとして使われたライブは
BSで放送&録画したからと、『Reiz』は買わなかった
(数年前中古で購入。ビデオの初回特典は「MIDARA」入り)。
NHKホールだからクラシカルにしたんだろうか?
NHK-FMで使われそうな導入から
徐々にノイズが入って来始め、「来た来たー!」。
初っ端から盛り上がると思いきや、
紗幕下りたまま「MIDARA」で始まる肩透かし。
心の中でズッコケた。

OBSESSION
藤井さんがインタビュー等で挙げていた
映画『ポゼッション』を観た時、
サンプリングされていたセリフが出て来て
「これかあ!」とテンション上がった。
そのシーンはイザベル・アジャーニ演ずるバレエ教師がレッスン中、
生徒のアティテュードを無理に締め上げて(これは本当に痛い!)
泣かせた後、脳と行動について一人つぶやく所。

歌詞の「美女と野獣」は一人の人間の中に棲んでいると解釈。
イメージは『ジキルとハイド』に近い。
退廃美的表現に反戦の匂いを漂わせるのは
遠藤さん独自の手法かも。

OPTIMAL PERSONA
いわゆるポップソングの構成をブッ飛ばしてて、
その面白さを喜んだ。リズムも楽しい。
ライブではピョンピョン跳ねたものだった(遠い目)。
NITZER EBBっぽいけど、もっと気持ち悪くて良い。

第一期最後のツアーは
三日間の内の二日目しか行けなかったけれど、
偶然にも藤井さん担当の日だったらしく
(初日は森岡さん、ラストは遠藤さん)、
当日は幸福感で倒れそうだった。
SBが終わる事よりも
藤井さんの音で満たされる嬉しさが断然上という、
そんな日を収録した『HEAD』には
この曲を可愛らしい仕草で締める遠藤さんが収められている。
シアワセな記憶しかない。

PARADE
導入部の管楽器を入れるタイミングが
プリンスの「パレード」にソックリ。
それはそれとして、
自由奪還に向けて勇猛果敢に挑む、
誇り高き王の如き歌声が素晴らしい。
遠藤さんの後ろにライオン、金色の太陽、神殿が見える。
オペラも出来るとでも言いたげなこの仰々しさ。
笑いながら拍手した。

PASSING MOUNTAIN
これはバルティモラの「ターザン・ボーイ」か?
1st聴いた時、この曲で「歌ヘタ!」って思った。安定してなくて。
次に収録されてるライブではそんな事なくて、
ほぼ3年で強く育った腹筋にブラボー。

保育園のお遊戯みたいに能天気な曲調にシリアスな歌詞。
親しみやすい入り口を作ってポピュラリティを得、
メッセージを伝える。
このアプローチ法がダメとは思わないけど、
売れてる(とされる)曲を見る限り、
社会派なものは皆無という感じ。
ポピュラーミュージックに思想や主張は野暮なのかもしれない。
私の場合は個性が無いと記憶にも残らないからか、
売れない(とされる)音楽ばかり聴いている。
なんかすみません。

PERFECTION
アラビアン♪
歌詞のように体をユラユラさせて踊れる。
タイトル通り曲も詞も完璧で、
『FORM』で一番気に入った曲だった。

PHASE
ここで歌われている山に
ニーチェの『ツァラストゥストラはかく語りき』で
登られる山(名前忘れたよ!)がイメージされて、
ヘビの登場を待ってしまう。

山を登った先にあるものが
今以上の残酷さを持っているのだとしても
登ろうという気概をこそ大切にしたい、と前向きな歌詞解釈。

PHOENIX
かなりの速度で飛んでる感じ。
「流れる今だけが 君の全てじゃないさ」が素敵。

全然似てないんだけど
何となく『ガッチャマン』ぽいのは火の鳥が頭に浮かぶからか。
男の子アニメの主題歌も行ける声かもしんない。
残念ながら今はタイアップまみれで
物語と無関係な曲ばっかしで絶望的状況。

8[Pi-So]
PILED HIGHER DEEPER
英詞だから何言ってんだかわからず。
一応辞書で単語の意味を調べはしたけれど、
遠藤さんの文法はメロディに合わせてるから
更に頭を使わなきゃならなくて、
「どうせ反戦だろ?」で片付けた(ひどい)。
曲への感想は特に無し。音色変わって
新しい機材入手したんだなってくらい(ひどい2)。
ただ、ライブで藤井さんが「NEEDLE」を
開放弦でジャーン!とやってたのが、
『INCUBATE』ツアーからコード覚えて
ギタリストになってたのを確認した記憶がある。
貫き通していた‘指一本しか動かさない’パフォーマンスを
捨てただけでも驚いたのに。

PRIVATE PRIDE
普通に恋愛の歌、しかも片思いっぽいぞ。
「唇奏でて」るからそうでもないか?
でも「届くまで」想いの強さがあると歌うだけで、
相手のリアクションが無い。
だからPRIVATE PRIDEなのか。
やっぱり片思いっぽいぞ。

「BODY TO BODY」の流れを汲むボディ系の音は
『DOCUMENT』までで、
それに合わせて衣装も変化して行ったように思う。
ラバーだレザーだと、ライブ中は死ぬほど暑かったろうな。

RIDE
「RECHIT」の意味がわからない。
ドイツ語っぽいけど「レヒト」と発音してない
(RECHTなら意味は‘権利’とか‘法’とか。
 これで解釈していいのか?)。
ドラムとギターの存在が大きく、ベース(低音)が小さいので、
歌が代わりにダウナーな感じを出してる印象。
RIDEなのにダウナー?と自分にツッコミ入れつつ。

よく藤井さんが「歌は要らない」と仰っていた為、
逆に歌がないと間が抜ける感じに作ってるのかと思っていた。
一般的にシングルに歌無しのバージョンが入ってたりするのは
カラオケ練習用の目的もあるだろうが、
SBのを聴くと「あんまりだ」と思った。
そして遠藤さんを尊敬した。ライブなんて加えて爆音。

ROMAN
歩いているのは二人で、「ここは天国ではない」と告げられる。
と来たら、『失楽園』。
夢と冒険のロマンとローマン・カソリックを掛けてるんだろうか。

未開の地を歩むのに不安感が入って来ない所はさすがというか、
今以上の最悪な状況は無いと思っているというか。

SAND LOWE(←ドイツ語表記自粛)
ノイズ、狂気をはらんだピアノ、ドイツ語。
以上がSBへの期待3大要素。
結局ドイツ語が入ったのはこの曲くらいか。
声質からして合ってるのに、歌う方も聴く方も馴染みが無いから?
日本語詞をメインにして歌う中、
ドイツ語詞をチラッと入れてくれたら最高。

ところで、このリマスターによる驚異的変化は何なんだ。
ものすごいドラマチック仕上げ。
それだけ当時と今で録音機材に大きな差が出ているという事か。

NHKホール(1991年11月22日)での演奏は暗転の中を
藤井さんがドラム缶にグラインダーあてて火花を散らす
リアルなノイズから始まり、間奏で森岡さんが
グランドピアノでソロを弾くという贅沢なものだった。
しかし、あの美しい舞台に向けて一部の客から
汚い声援(「ふじいー!」)を投げられたのは何故だろう。
藤井さんは人一倍女性に大和撫子を期待してそうなのに。
ノイズの世界は不思議だ。

SOMETHING AROUND
ライブで聴いて気に入った曲ながら『愛と平和』以降お披露目無し。
アレンジからしてギタリストの存在感が大きく、個性の出やすい曲。
といっても
石塚伯広さんと平沢進さんの二人が弾いたのしか知らないから
個性を先に感じてしまったかも。

8[Sp-Tw]
SPINDLE
またしてもタイトルの意味がわからない。何かの喩え?
歌詞からは差別を無くしたい気持ちが込められているように感じる。
初期ライブアレンジにはニューオーダー「FINE TIME」の
フレーズが入っていた事もあり、独特の切なさがあって好きな曲。
次に収録されてるライブバージョンが一番好きなんだけど、
映像で見たら遠藤さんが今にも泣きそうな表情。
何をそんなにまで求めていたのやら。
歌の差も歴然としていて、あの日には何かと特別感がある。

デビューして間もなくのライブ映像で、
歌詞を間違えた遠藤さんを藤井さんがチラッと見ていた。
関心無さそうなのに、覚えてる。
どんなお仕置きが待っていたのだろう。想像するだに恐ろしい。

TANGO IN EDEN
なぜか思い出すのは映画『ラストタンゴ・イン・パリ』。
Hadesは冥府の王だっけ?
あまりに耽美で少女マンガっぽいイメージ。

TEXTURE
三拍子好きなものだから。
歌詞は「君が代」のような、日本語の美しさがある。
沖縄民謡の雰囲気もあって、構成を楽しむ曲という感じで面白い。
ライブ@NHKホールで
遠藤さんが両手で箱を作ったのも良かったなあ。

TVK『ライブトマト』で放送された、
平沢さんをゲストに呼んでのライブで演奏されたらしい。
ギターでなく歌で。なんという贅沢。聴きたかった。

THRESHOLD
head mix初めて聴いた。むちゃむちゃカッコイイ!
BOX買って良かった…。

歌詞が難解を極め、もはや語感を楽しむ領域。

イギリスでリリースされたのはこの曲だったろうか。
「結構いい所まで行った」くらいの評判しか聞かない。
海外進出だとか、呼ばれても無いのに挑戦する人達は
何を目的としているのか。
売れ線求められても結果が出ないストレスの解消?
海外で評価されれば日本でも逆輸入的にウケるだろうって目論み?
単なるリスナー新規開拓?
もっと大きく構えていられる環境が用意されていれば
つまらない小細工など要らなかったろうに。

TRANSCODE
遠藤さんのつぶやく英字がアナグラムになってて
正しく並べたら意味の通る言葉になるのかな?と思った。
面倒臭すぎてやらなかった。

こういう、アルバムの流れを乱さないよう、
曲間を繋ぐ役割を持った曲を入れる構成は
わざわざ歌無しの曲に‘インスト’の断り書きが入る
日本の音楽業界では珍しい方に入るだろう。
「遅れてる」とは思わない。保守的なだけ。
アルバムをシングルの寄せ集めとするだけではない、
別のリリーススタイルを認める自由度は徐々に高くなり、
ネット配信も普及して来た。
過去に流通していた記録メディアを切り捨てるのではなく、
ミュージシャン側が楽曲に合わせ自由に選べるようになったらいい。
と、話が脱線。

TWIST OF LOVE
DEPECHE MODEと同じ機材を使うだけでも
「似てるー」とか思っちゃう訳だよ、素人の私は。
PVでは藤井さんがバーナーで
卵(未来の象徴?)焼いちゃったりして、
表層だけのハリボテ感があって何だか恥ずかしい。
詞は恋愛と差別を憂えるメッセージが同居しているが、
個と社会の構造を繋げる言葉が見当たらず、統一感が無い。
よって、軽い印象。

10[U-Yo]
U
もぉ~、ビクッとする!
コンポのレベル表示振り切ってるし!

調整してはいるだろうけど、
藤井さんは中途半端が無くていい。

VIETNAM
映画『地獄の黙示録』を観ずにこの曲を楽しめようか。
とは観てから思った事。
素晴らしい。藤井さんに土下座。
この曲に詞を乗せ切った遠藤さんにも拍手。

VIRTUAL WAR
中継映像で見る湾岸戦争を
「テレビゲームのようだ」と表現した当時の報道番組。
恐怖心から逃れる為に脳が現実感を薄くさせたのだろうか。
数年後には同じブッシュ家の人間がイラク戦争を仕掛けた。
迷惑過ぎる。

ライブ@NHKホールでは
遠藤さんの「Give me a burn!」でドカーン!
仮想爆撃起こされた。

そんな訳で、ニュース聞いてすぐに作った曲という印象。
怒りに任せてたとしたら
平常時の10倍は早く仕上がったろうな~なんて思った。

WHITE SHAMAN
このWHITEは無垢と人種のどちらで解釈すればいいんだろ。
狼煙を上げるって所はインディアンぽい。
何にしろ、暗殺者もシャーマンも自らでなく誰かの意志で動く。
それらを表に出しつつ、
目覚めの兆しを不屈の精神で生み出そうとする強さを覗かせている。
頼もしい。たくましい。

WHOLE THE WHOLE
書籍『ホロン革命』や『シンクロニシティ』を読んだり、
インタビューから遠藤さんの全一的な見方を
読み取ったりしてた当時、タイトルを軸に詞を理解しようとするも、
視点が高いくらいしかわからず。
alien manは映画『地球に落ちて来た男』をイメージ。
観た事無いけど。

森岡さん作曲ながら、地を這うような抑揚の無いメロディ。
『MILLION MIRRORS』が通好みと言われるのは、
この非ポップ性か。

そういえば森岡さんが目立つ場所でオケヒット使い出したのは
「FINAL」辺りで、この曲と「WHITE SHAMAN」でも使われている。
あまり好きじゃない。
じゃあ他のどんな音がいいんだと言われても困るけど。

WITH YOU
冒頭の詞で「ああダメだ~」と仰け反った。重複表現だから。
その後、「WITH YOU」なんて普通のラブソングかと思いきや、
未練たっぷりに彼女の幻を抱き、
ついにはその幻が実体となり歩き出すという展開。
なぜこんな怖い恋愛模様を生み出すか、遠藤さんは。
何か嫌な思いでも?
(してそう。母が一目見て「女で苦労してそう」と言った。合掌)

ライブで演奏されたのは初期と『INCUBATE』の頃。
サポートの友田真吾さんのドラムは
何人が叩いているのかというくらい細かかった。

YOU
能天気で良い。「INSTINCT?」同様、
森岡さんが解放されたような曲は楽しい。

詞は「ついてきてなんて 夢は言わないさ」が良い。

11[UNRELEASED MATERIALS]
未発表曲集に期待する程おこちゃまではないものの、
「L-MESS」は気になっていた。
音色でもわかるけど、コーラスの声が後期のものだ。ありがたい。
「THRESHOLD」は
再集結時のライブSEで使われていたのと似ている。
感想はそのくらい。

ドラムが打ち込みだとか
終わり方がやっつけくさい(「HYSTERIA」)とか、
甘い部分が見える状態で聴くのは、SBでなくても遠慮したい。
特典というより、おまけ。無いよりはいい。

***

こうして感想文を作って行くと、SBをどう楽しんでいたかがわかる。
既存の曲から借りて来たフレーズやアレンジだと知りながら
軽蔑せず聴き続けたのは、
藤井さんがオリジナルを超える音世界を作った事と
遠藤さんの歌による。
日本語は音に乗せにくいらしいが、
だからこそ、独自の曲が生まれるはず。
SBが洋楽にかぶれているようでも、
英語に頼り切らなかった事に感謝。

ああまたしても。
森岡さん(のクネクネや尻)で語られる事の多い中、
私と来たら全然だ。
藤井さんと遠藤さんのカップリングが大好き過ぎる。
この二人で曲作ったら世界最強なんだけど、無いだろうなあ。
『SYMBIONT』と『MENOPAUSE』で聴ける
それっぽい曲でガマンだ。

決して森岡さんを拒んでいるのじゃなく、
ポップを楽しむ器が小さいだけ。
ライブで遠藤さんの煽りを間の悪い「フォー!」で無効にしたり、
喋らせればカミカミで「ちょっとどうなの」と思ってはいたけれど。
唯一手を叩いて絶賛したパフォーマンスは、どのツアーだったか、
曲間で「キャアアアー!」と絶叫しながら
ステージを右往左往した狂気のひととき。
あれこそが森岡さんにとって正しい解放だと思った。

***

アルファベット順にライブ音源やリミックスも加えて収録
との難題を課した会社はアレだが、
違和感無く聴けるよう作り上げた
藤井さんとエンジニアさんもアレだ。
本当に自然に聴けるんだもの。びっくりしちゃった。

活動に関してはインタビューで挙げていた藤井さんの案を支持。
「解散」でなく活動休止だから再度の集結を期待させるだろうけど、
新しいものが出て来ない、出そうとも思えないなら
今のままで構わない。
資金調達の為ならライブだけ頑張ってくれればいい。
それを音源や映像でリリースしてくれればいい。
潰れかけ音楽業界の契約システムになんぞ、乗らずともよい。

何がSBを縛るかといえば、多少の融通は利いても基本的に、
森岡さんと藤井さんにはメインボーカルが固定され、
遠藤さんも決まった作曲者の曲しか歌えない事。
特に詞世界は他者の発想から離れられず(二人が投げ出せば別)、
その上で後年ENDSで見せた世界観をSBで展開させるのは、
第三者からしても無理があるように思う。
それぞれ掛け持ちで活動出来る体力や器用さがあれば可能
…だろうか。
割り切ったプロ意識もバンド的共通意識も持てぬまま
創作活動に出るのは、なんだか苦しそう。

私が好きなSBは藤井さんの曲を遠藤さんが歌い、
時々森岡さんがピアノを入れるという、かなり偏ったもの。
だから、例え再結集しても満足は得られない。
2002年~03年のライブで、リアレンジされていない
森岡さんの曲(「TANGO IN EDEN」とか)を
遠藤さんが歌えていなかったのも再結集を望まない理由の一つ。
過去の作品なのだからテクニック的には容易なはずが、
それを敢えて出さなかった自我の強さ、
または不器用さが気に入らない。

そういった点でも、SBはその時のベストを出して来たのだと思う。
このBOXが最後のリリースでも、残念さは無い。
聴きたい時に聴く。

以上。

拍手[7回]

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