![]() 親の虐待に耐え切れずの殺人事件。 「それは殺意芽生えるよね」と理解を示したら、 殺人を認める事になるだろうか。 子供にとって親は絶対的な存在で、それを悪用すれば、 それに見合った関係を築くのは容易に想像できる範囲。 明かに自分より弱い立場にいる人間をいじめるヤカラは 家族だけでなく、学校でも会社でも、社会を営む場に存在する。 そのヤカラにも因縁がある。 もどかしい状況を変えるのは誰だ。といえば自分だろう。 どこにいても、どこに行っても、問題は次々に現われ、試される。 「自分さえガマンすればいいのだ」の犠牲はストレスになるばかりで、 悪感情のループから脱せられない。 突破口は直接の、あるいは全く無関係の他人を殺す事ではない。 誰かの意志に縛られた自分を解放出来るのは自分だけ。 (と、簡単に云うなよって方もいらっしゃるでしょう。 確かにエスカレートしっぱなしの人とかいますもんね。 単純に、相手を変えようとするより 自分を変えた方が早いと思ったのです) 彼らが執着していたのは常識と思しき‘親からの愛’だろうか。 しかし親こそが愛に飢えていたのではないか。 求める愛が与えられない、思い通りにならない苛立ち。 思いやりの全くない、利己的な要求。 お互い様だ。 日々報道される事件の内、 「殺害動機は(ネットの)日記を読んで下さい」と言った犯人がいた。 アピール手段としての日記は沢山ある。 彼の場合は 徐々に本人に直接言えない恨み言を並べて行ったようで。 最後は後に引けないよう、言い聞かせるように 殺意を強化させていたように感じた。 誰かが読んでいると意識していたなら、 心のどこかで「止めてくれ」と願っていたのかも。 『はや朝』(フジテレビ)を横目で見てたら、 「夫が優しくなったと思ったら、 ネットで私の悪口を日記に書いていた」と、 奥さんからの手紙を紹介していた。 夫は日記を読まれたと知り、キレたそうで、 まぁ、「読んだとしても言うなよ」って感じだ。 それが夫への思いやり。 社会生活において、発言の機会を与えられる人は少ない。 話相手が限定されているのも、狭苦しく感じる。 そこを離れられるのがネット。 日本語でしか発信出来なくて、まだまだ世界は狭いけれど、 私は快適。 人が口をつぐんでしまうようなアレやコレも知れて、面白いじゃないか。 でも殺人はダメだよ。 PR ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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