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『思いの竹槍』
~近衛兵、その情熱の極限
いかに素晴らしい人物であるかを「これでもか」と
力説しております。


(この写真を選んだ理由は、あるネタで鳥肌氏が
 「竹林に入り、日本刀で竹槍を切り出した」場面に因みます)


壱本目
ハッタリ!

鳥肌実氏の表現活動において、
誤解される箇所がいくつか推測される。
右翼なのか、キ印なのか、酩酊状態なのか。
ここに巧みな戦略が垣間見える。

廃人宣言、そして公演という形で、観点は180度転換する。
露悪趣味ともいえる奇天烈な表現を
‘作り物である’との遮光板で安心を得る。
「笑ってもいいのだ」と。
得体の知れない人物に出会った時のあの恐怖感を和らげる光。
あるいは、人間の持つ傲慢さや野次馬根性を照らし出す、
強烈な暴露の光。

緊張と緩和、
冷静で合理的な解釈を不条理な独裁者の論理で押し通す技、
扱い辛い素材を笑いに転化させる、独自の感性。

と、小難しく誉めてばかりはいられない。
ネタは終始下らないのだから。

人間爆弾、鳥肌万歳。

サイト主 さわだ


弐本目(仮)

万歳!

ミナミ


参本目
鳥肌実氏。
この方のライブには本当に驚かされました。
こういうカタチのライブもアリなのです。
ご存知ない方にも一度是非ライブに行っていただきたいです。
そして近衛兵への第一歩を踏むのであります。

鳥肌万歳!

スズキ ユウコ


四本目
ライトに照らされた、ビールケースは赤い。

でも、「鳥肌実」の口から出てくる言葉は もっと赤い。

ビールケースに安定感はあるのか?

「鳥肌実」はどうだ、不安定か?万年不安定だろうな。
どうでもいいか、そんなこと。

孤高廃人の独壇場。

そこには常識も知識も理解もキレイ事も存在しない。
理屈は・・・・「屁理屈」の方向で。
会場全体のうさんくささ、でたらめ?まやかし?遊戯?
色々考えてたどりつく、やはりこれは「芸」なんだなと。

迷惑芸人? そうかぁ?お互い様だろう。
笑われてるのは鳥肌自身なのだから。

        完

カオル


五本目
端整な顔立ちに其の芸風。
このギャップの激しさから生まれる妙な可笑しさ。
タブーが渦巻く言霊。
いつの間にか声を出して笑っている自分がいる。
誰も触れない、誰も触れられない「あのこと」。
しかし其のタブーな題材は
あくまで我々の日常に転がっているもの。

氏は演説会場という“密室”に集った人間に
「生」でその言霊をぶつける。
同じ時間、空間を共有する人間だけが味わえるこの独特の世界。
ライブでやる価値が十分に示されている。

近衛兵が口々に叫ぶ「鳥切れ」、
それは、いつのまにか其の世界に身魂を投じる事が
或る種の“快楽”になっているから。

“快楽”・・・そう認識した時点でもう後には戻れません。
戻りたくはないんです。

懐中電灯!




六本目
「何をもってして皆さんの前に存在する理由があるのか?
・・・答えはひとつ、突撃で御座います!」

笑ってしまう。
が、私はこの言葉をごっくんと飲み込んで腹におさめる。
突撃。どう考えても他に表現のしようが無い。

そんな事言っちゃだめよ、危ないからあそこへは行かないでね、
禁じられるからこそ、口に出すと楽しい。出かけたくなる。
そこにあるのはただ、単なる幼児性。
だっておもしろいんだもん。

氏の芸にどれくらいの威力があるのかは、わからない。
意を解さない人の目には、
「潰れた蠅がばっちぃな」程度のものかもしれない。
でも、
夜毎突撃、玉砕を繰り返す
この軌道を逸脱した「人間爆弾」が飛び散らかした破片を
ボコボコ体に受けながら
涙を垂らして笑い転げている物好きな輩が確実にいる。

一貫性なんかいらない。
くるくると、臨機応変に壊れる様を見ていたい。
私は鳥肌実の芸を見て笑う。
それが、「社会に適応できてしまっている」自分への復讐だ。

文鳥鈴女


七本目
「鳥肌実」について考えてみたとき、
ふと「哲学サーカス団」が頭に浮かんだ。
「哲学サーカス団」とは
クラフトエヴィング商会の著作に登場する空想の移動芸人で、
そのパンフレットに記されているという記述を引用してみると

―「さて皆様。サーカスなるものには人の心を動かす
アクロバティックな<離れ業>が不可欠でございます。
演者がことごとく道化てばかりでは、
どうにもお話になりません。
<哲学>なるものもこれに同様。
空中ブランコ乗りが、
いつでも<死>と隣り合わせであるように、
<哲学者>もまた、軽業師の身のこなしで<死>の隣に立ち、
何ものにも、もたれかかることの出来ぬ<空中>において、
自らの<思想>の曲芸を成すべきであります…」
『クラウド・コレクター 雲をつかむような話』

あの人はおそらく日本一暗殺されても不思議ではない芸人だ。
広い舞台の中央にぽつんと置かれたビールケースの上は
まるで「空中」。
なぜ鳥肌実に人々が集まるのか?
その答えが少し見えた気がした。
人間は昔から自ら危険を冒す曲芸師を見て
楽しんできたではないか。
ただ古典的な空中ブランコや綱渡りはもう見飽きた、
そこに出てきた「社会のタブー」という危険を冒す曲芸。
はじめてサーカスを見たときのようなドキドキ感。

また、「哲学サーカス団」は一つの命題に対し
いくつも「真実」を提示する「解釈芸」が十八番だという。
そしてこんな記述がある。

―そう考えれば、じつは、
たどりつく「真実」など、どうでもいいのであり、
要は、そこへ向かう道すがらに、
どれほどの可能性をでっちあげられるか?
ということになってくる。
その、でっちあげのアクロバティックなひらめきが
成功したとき、人はそこに
「魅了」とか「感動」などというものを見出すのだろう。…
『すぐそこの遠い場所』

思想や宗教などの「ひとつの真実」を強く信じる人の姿は
傍からみれば時には滑稽に見えることもある。
鳥肌実はそんな笑いも示している。
ただそれをみて笑う人々も信じる人から見れば
愚か者そのものだろう。
どっちが正しいのかはわからない。
鳥肌実の演説に真実なんか求めていない。
アクロバティックな「でっちあげ」を求めている。
つかみようのない「真実」というものより
「笑うことができる」ということのほうに
価値を見出した人々が集まる。

空想の国からふと極東の島国に迷い込んだ
哲学サーカス団員の一人
(たぶん団員のなかでも浮いていた)が
この地の哲学を学ぶべく
とりあえずここの国の国旗がたくさんあるところに向かい
一通りの思想を学んだ後
この地に住む一般的な男性の髪型を
見よう見まねで何とか完成させ、
しかたがないので一人で興行を行う事にした…
それこそ「鳥肌実」である。

以上、拙い妄想でした。

卒業生代表

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