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時代劇では『桃太郎侍』が好き(あと『浮浪雲』も)。
桃太郎侍は人の心に棲む鬼を退治してくれる。
人の心には強くも弱くも鬼を作る力があると思う。
わかりやすくは‘疑心暗鬼’。見事に鬼の字が使われてる。

猜疑心はセキュリティのために必要だろうけど、
度が過ぎると疑心暗鬼になる。
世界レベルでは核の問題。
保有国は「どこかの国から攻撃されたらどうするんだ!?」と言う。
端っから核を廃棄してしまえばいいのにねぇ。
ないものは使えないんだから。
たぶん、ある国から完全に核を無くしたと発表があっても
「いや、まだあるに違いない」と
頑固に保有し続ける国が(たくさん)あるだろう。
備えあって憂い無し、ですか。
だから、なければ使えないんだって。

ネットやメールをやっていれば
必ずといっていいほどぶつかる‘解釈の壁’。
言葉の使い方や表現は
個性により変わってくる事が理解されていれば
問題は起こらないのだが、なかなかそうはいかないようで。
どんなに気を遣っても思いもよらぬ場所から
パシッ!と「傷ついた」の矢が飛んできたり。
こちらとしては自分のどんな言葉が相手を傷つけたのか、
文面から推測するしかなく、
相手に冷静さが残っている事を望みつつ、
説得を試みるけども大概失敗さ。
で、私が疑問を感じた時どうするかというと、
質問して答えてもらうまで待つの精神。
答えにより解釈を改め、あるいは確信して先に進む。
これで困るのが質問に答えてくれない場合。
勝手に解釈するのは嫌いだし、自分の捉え方にも自信がないから
不安でしょうがなくなる。
結局は逃亡か放置しかできなくて。
このテの不安を理解して質問に快く、正直に答えてくれる人には
めっぽう弱い単純思考。
決め付けや思い込みを外して軽々と視点を変えていく方針は
末永く、幾久しく(結納気味)続けて行こうと思う。

*‘解釈の壁’は別にネット世界限定ではないのだけど、
  軋轢が浮き彫りになる事件が多々起こるような気がして。
  私自身、テキストを使ったコミュニケーションで
  壊してしまった関係は少なくない。方々で重箱の隅をつつくような
  論争が起こっているのも事実だったり。
  ネット世界ではなぜこれほど誤解が生まれ、
  関係を新しく変えて行くのか。考えてみようっと。

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