![]() 私の関心は人間関係しかないのかい。 人との付き合い方にも個性があって、‘いつでもどこでもこの人と’や、 ‘どこそこに行くならこの人と’などがある。 私は後者。元々ひとりで行動する事が多いから目的の方が先に立つ。 それから、「あの人も(映画であれば)観たいって言ってたなぁ。 誘ってみようか」となる。 で、断られればひとりで行く。 「断られた…。嫌われてるのかなぁ」ってのはない。 だから逆の立場でも誘いを断る自由があると思っている。けども。 「あなたが来ないのでは意味がない」 「せっかく誘ってあげたのに」 こんな言い方をされたら罪悪感背負っちゃうじゃないか。 自分の望みを相手が叶えてくれるとは限らないのだよ。 ある会話が耳に入った。 「ねぇ、○日は誰のライブ行ったの?」「××。おもしろかったよ」 「でもさー、それって浮気じゃん。ひとりにしぼらないと」とかなんとか。 付き合っとんのか(怒) (↑嫉妬じゃなくて。ただのファンだったみたいだし) あ〜、開場まで時間があるせいだ! こんなアホウな会話聞きたくなかった! 例えば「P-MODELが好き」と言った時に 「どのメンバーが好きなの?」と返されるような。 どうして誰かを選んで好きにならなきゃいけないのか。 この‘好き’は明らかに恋愛感情での ‘好き’を訊いていると思うのだけど、なんで? 街中でお気に入りの音楽を作っている人を見かけても近づかない。 それは相手を気遣ってるのじゃなくて、近づく理由がないから。 って、いかにも理屈屋の考え方 (理由や目的がはっきりしないと動けない)だな。 相手の「そこから入るな」はわからないので、 「そこからは入りたくない・入れない・入ろうと思わない」を意識する。 PR ![]() 平沢さんの事はもういいか、と昨日宣言したばっかなのにこの有り様。 ちょっと前のダ・ヴィンチ(岡野玲子×平沢進対談)を読み返した。 対談中、‘自立派’と‘従順派’という表現があった。 私は自立派を‘自分の意思を尊重する’人達、 従順派を‘平沢さんの意思に従う’人達と受け取った。 ファンの間だけで解釈すれば、 従順派は‘他のファンの選択に従う’人達か。 本当に、解釈をひとつにできない優柔不断はなんとかならんものか。 なぜあのエンディング(インタラ『賢者のプロペラ』最終日)で 感動したか。 すごくネガティブなんだけど、 同じアーティストを好きなだけでファンが協力し合うなんて ほとんど‘有り得ない’と思っているから。 ネットに繋がっていなければ、 情報を収集・(こっそり)公開しなければ 辿り着かなかったハッピー・エンディングは、 ファンに創造力や積極性を求めた平沢さんの意思の現れだろうか? 最終日のインタラでハッピーを感じた人もいれば アンハッピーを感じた人もいるだろう。 私はだから、 ‘あんなに意思の強いファンが協力し合ったなんて!’というハッピー。 ネクラだね。 インタラの目的や意味や意図を考えた時、協力を選択したのは 私の抱く‘コミュニケーションへの絶望’が第一の理由である。 第二は‘別のエンディング見たい’。 スクリーンに向かってファンが声を張り上げるのは、 遮断されたから、黄色い声で平沢さんを ‘呼んでもどうにもならない’から ‘呼ばないとどうにもならない’へと変化したから。かも。 私にとってインタラは平沢さんとのお遊び。お仕事はノンインタラ。 秋には仕事が見られるのだ。楽しみなのだ。 ![]() 平沢さんのお仕事はまぁ、ひと段落ついたのでまたいつか。 と、宣言すると目新しい事すっから困っちゃうんだけど。 恋愛について書く。これは序の口。 発展形はのちほど(いつになるかなぁ?)。 さて、私は恋をすっとばして愛に向かうらしい。 参考にした定義は美輪明宏著『獅子の座ぶとん』。引用します。 恋とは 自分本位に人を好きになる感情です。 理性の入り込む余地はありません。 相手の人がどんなタイプの人を好きなのかどうか調べようともせず、 また相手の気持ち等全く無視して、 ただただ自分勝手に相手のあそこが好きここが好き、 相手の身体が欲しいと自分の気持ちと欲望だけが、 相手の気持ちよりも先行している状態を恋といいます。 愛とは 恋から始まった自分本位の好きだという感情が、 進行して高いところへ昇華して、理性的な心となったものです。 すべてが相手本位になります。 嫌がられれば遠くから見守ってやり、 困ったような時は役に立とうとする心です。 相手が満ち足りた幸福そうな顔をしているのを見て、 自分も本当に満足した幸福感にひたれる心です。 ですから、恋は苦しみます。 愛までたどりつかないから苦しむのです。 以上、引用でした。 恋の段階を経ないので、愛とは言えないかもしれないけど、 私は基本的に相手の気持ちを考えようとします。 そのせいか、欲まみれの人間には敏感です。 「ああしてくれ、こうしてくれ」、 こういった要求を察知して逃げるのですが、 相手は全く気づきません。たいてい「こんなにしてあげたのに」と 感謝まで要求してきます。 相手の事を考えずに提供するのは、‘奪うための手段’です。 拒絶されたなら離れるのが一番。 執着して嫌われるのは本当にみっともない。 と、考える私は相手の気持ちが恋から愛に進行するのを 待てなかったりする。ダメだこりゃ。 ![]() オッケー、メランコリック、トゥー! 昨日は約10年、バレエを教えてくれた先生の送別会。 保護者さんがたくさん集っていて、 生徒の私は思いっきりの人見知り爆発。目も合わせらんない。 当の先生は涙なみだ。保護者さんのひとりも泣きながらのごあいさつ。 生徒がひとりひとりお花を渡してごあいさつ。 握手した時、「続けるよね!?」と視線ばっちりで言われてしまった。 続けるとも。 集合写真撮ったけど、ほとんど目をつぶってると思う。 私は写真嫌いでしかも、タイミングを読んで瞬きするから マトモな顔で撮れる方が珍しい。 おもしろいから全部買ってしまえ。 私はこういう時に泣けない。 泣きそうになるのを止めるクセは治らないようだ。 クセのきっかけは中学校卒業式の日。 クラスメイトが目の前で泣きながら話していた。それを見て泣いた。 すると、「なんで○○ちゃんが泣くの?」と言われた。 その人にとって私には泣く理由がないのだな。 話してる内容に泣きの要素があったからベソかいたんだけど。 もらい泣きではあるけど、そりゃないんじゃないの? あまりの疎外感に、 「感情の起伏を隠さないとまた人を不快にさせる」 と思い込んでしまった。 昨夜はCGNにてヒラサワ定例チャット。 前科者の私に「こんばんわ」のごあいさつをしてくれた方々、 ありがとうです。 平沢さんのPCのエネルギー源はもちろんソーラーシステム。 警報と共に去って行った。 ああ、朝日と共にお別れしていたあの頃よ、もう一度。 ![]() みなさん何が欲しいかって、新曲じゃないすか。 「そんなごたくなんか後でいいから、聴かせて下さいよ」 ってな感じなんじゃないかなぁ? 平沢さんは『はたらくおじさん』みたいに、 作品がどのようにできあがってくのかを見てもらいたいんだろか。 人が提供するのは提供されたいもの。 と考えると理解はやさしい。 で、私は理系の人(には限らないけど、おおむね)が大好きです。 おもしろい。 なぁんでそんなとこにこだわってんだか、 とツッコミがいのある事やらかすのでね。 時間がかかっても本人が納得するまでほっとけばいい、 というのもラクでよろしい。 私は「ダイジョブ。納得できたら呼んで」と言えばいいだけ。 戸川純のアルバム『好き好き大好き』に 「ヘリクツBOY」って曲があります。 ヘリクツばかりで実践しない男の子にやきもきする女の子の歌です。 恥ずかしがってばかりいると逃げられちゃいます。 私も帰っちゃうかもね(どこから?)。 ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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