忍者ブログ
2007年5月26日(土)初台 The DOORS

メンバー:KERA(Vo.)、三浦俊一・朝内雅俊(Gt.)、
     杉山圭一(Syn.)、YANA(Dr.)、平井義人(B.)
ゲスト:ハッカイ(Erhu.&Gt.)

開演前BGMはニューウェーブ。
出囃子は7月に発売予定の犬山イヌコさんの新譜から。
歌詞が3行しかない「なんだそりゃ」な歌に笑う。
衣装は全員お揃い。
半袖のツナギ(白)にオレンジのラインを入れたデザインは
ニューウェーブらしさ全開でカワイイ。
機材は自家製シンセパッドが消えたくらいで、
大きな変化は見当たらず。
演奏曲は新譜『15 ELEPHANTS』からを中心に、
有頂天の旧曲なども合わせて。
杉山さんが歌う「ドリル節」では
ケラさんと三浦さんが引っ込んだからか、
一気に後進者バンドの雰囲気に。

拍手[0回]

PR

2007年5月18日(金)シアターコクーン 1F R列 8番
作:井上ひさし 演出:蜷川幸雄 音楽:宇崎竜童
出演:古田新太、田中裕子、段田安則、六平直政、壌晴彦 他
ギター演奏:赤崎郁洋

あらすじ:享保の年、塩釜の地。表向きは魚売りの小悪党が、
醜女だが気立ての良い嫁をもらい改心するも、お産費用工面に
通りすがりの盲人を手にかけ、金を奪う。
生まれた子は因果か、盲目。
その恐ろしさに父は自害し、母は一人で子(古田新太)を育てる。
しばらくして子は地元の座頭を師に持ち、
杉の市の名をもらい、才覚を表す。
ところがある日、地位を利用して悪行を重ねる検校に付いていた
結解役を刺してしまう。逃亡の為、一言別れを告げようと
母の元へ行くが、過って母をも殺した杉の市は
「もはや悪事を止める枷は無い」と腹を決める。
旅支度をして師の家に赴けば、むせるような血の匂い。
師とその女房・お市(田中裕子)が刺し違えていたのだ。
この主殺しはお市と共謀したもの。
その後、共に江戸に向かう予定だった。
頼む者も無く、一人で都会に乗り込んだ杉の市は…。

開演は鋭い笛の音。それから三味線を模した激情のギター演奏。
少し琵琶の雰囲気もあり。同じ弦楽器ではあるけれど、
アコギでここまで表現出来るとは。この素晴らしい演奏を受け、
語り手役の盲太夫(壌晴彦)が当時の盲人を巡る事情などを
わかりやすく伝えていく。左右の電光掲示板には
場や歌詞が表示され、濃密な舞台から客を振り落とさない配慮。
舞台は縦横に縄を張り、
杭をスライドさせて線引きを変えるなどの表現。
空間に縄を張る、これは晴眼者には邪魔に思えるものだ。
しかしそれを頼りに生きるのが盲人である。世界観の明らかな違い。
目玉のシーンは杉の市の早物語。
リズムに乗せて次々に物語を展開させて行くという、
噛んだら最後の芸。
他も決して地上波に乗せられないセリフや歌の数々。
覗き見や野次馬の楽しさに近い。悪趣味。
終演も笛の音が響き、大悪党の最期を悲しく厳しく伝えた。
享年28。

拍手[0回]


『マトリックス・レボリューションズ』
エージェント・スミスとの対決シーンは
ゲーム画面を見ているかのよう。
脳内世界を忘れさせぬバーチャライズ。
その為とはいえ、最終決戦にしてはショボくなってしまった。
「こんな事も出来ますよ」のCG技術披露にも飽き飽き。
インド系の子供が未来を担うような終わり方をしていたのは…
インドの大発明といえばゼロの概念だから、
プログラム完全制御下の世界からNo(=0)を外す事で
均衡を崩し消滅させた、これが革命のひとつか?
と思って二度も観たんだけど、全然わかんない(笑)。
聖書になぞらえた人物名や衣装(ネオのは聖職者そのもの)など、
ハマれば楽しめる作品だと思う。
一作目は良かったんだけどな〜。
のめり込むように仕掛け過ぎて、
観客に置いてけぼり食わす感じがイヤ。

『シークレット ウインドウ』
盗作疑惑をかけられた作家の話ってだけでイヤ(早い/笑)。
元々S・キングの印象が悪い。キューブリックの『シャイニング』を
「原作と違う」と腹を立てたってのを聞いてから、ダメ。
原作通りの作品観たら全然面白くなかったし。
他の作品もアレなの多いし。原作一作も読んでないし。
それでも観たのはJ・デップとJ・タトゥーロが共演してるから。
いい役者使ってもストーリーが単純過ぎて眠い眠い。
ひとっつも怖いシーン無いしね。
恐怖感を煽るラストも何だか御都合。
アメリカの法律ってああなのか?

***

自分の作品が映画化されるにあたって
「原作通りにせよ」と求める作家の気持ちが知れない。
映画と本は全く別の表現法。ほぼ想像力を使わない前者と、
受け手の想像力に委ねられる後者とでは、
評価の仕方も変わるものだと思う。
原作と同じなら良い作品になるか?
否。
『シャイニング』は原作読んでないからわからないけれど、
映画自体の出来が悪くて文句言うなら納得する。
でも「原作と違う」じゃなあ。物語の骨子でも抜かれたか?
可愛い我が子を改造されて腹が立ったのだとすれば、
なんだか子離れ出来ない親みたい。
手元を離れたら受け手のものだよ。

拍手[0回]


ず〜っと母に「病院行ってウツって言われて来い!」と、
被害妄想たっぷりのトークに付き合わされる度に
アドバイスしていたが、やっと行ってくれた。
私もウツ傾向だから潜入調査も兼ねて頑張ってもらったのだけど
(治すなら親から。それが順番というものさ)、
その調査結果は「本物はすごい」だった。
そして「よく私の頭がおかしいってわかったね。医者になれ」。
そんな、処方箋見せて「どれが何に効くの?」とか聞かないでくれよ。

ネットを彷徨していると、薬名で自分の状態を把握出来ちゃうくらいに
神経症との付き合いが深い方のブログに当たったりして、
単純に「医者になれるよなあ」とか思うんだけど、
本人は辛いんだろうね。
一般的に、
精神科に通っている事を恥ずかしく思う向きがあるけれども、
病院に行くってのは治そうという意志がある訳で、恥ずかしい所か、
自分にも周りにも迷惑をかけない、健全な行為。
隠し続けて、気付かぬ振りして、殺傷事件起こるよりずっといい。

母に話を戻すと、カウンセリングと薬の効果あってかウツ軽減。
それでも一つの事を思いつめて眠れなくなったりはしている様子。
その思いつめる元の多くが、私。
例えばバレエレッスンの日に雨予報が出ようものなら
「送り迎えしてあげなくちゃ!でも断られたら…」とか考えてて
朝になっちゃうのだ。そんなに愛してくれなくても。

コレ↓は母が使っている部屋の壁。

右はジュリー、左は山P、そして下は蒼井優ちゃん。
なぜ蒼井優ちゃんか?
私に似てるからだそうだ。もちろん顔じゃなくて、雰囲気。
‘ポワーンとしてるけど、芯が通ってる’所が似てるらしい。
この新聞広告、生ゴミ包んで捨てようとしたら
「自分の写真を捨てるなんて!」と怒られた。理不尽。
3つの時にスカウトされて作った
無料写真入りキーホルダー(ただの販促)も今になって使おうとして、
「あまり可愛がると早死にしちゃうんだよね〜」とか
楽しそうに言ってるのを聞いてると、本当に愛情あり余ってると思う。

少し前にした「ジジィにモテて困っている」の話。
「結婚を前提に付き合って欲しい」と言われ、大層迷惑がっていた。
そういうのはダメな母。狩人だね。

拍手[0回]


自分の汚い部分をさらすのはプラマイゼロにしたいから。
そうでない部分ばかりを公にする事に抵抗を覚えるのは、
やはり表に出ている部分だけしか、私を伝えられないせいだ。
かといってココでこぼしたパーツを全て集め、
組み立てたら私になるか?
ならない。

ムダと知りながら努める。
それは自分自身の為。理解して欲しいからではなく。

拍手[0回]



152  - 153  - 154  - 155  - 156  - 157  - 158  - 159  - 160  - 161  - 162  - 
忍者ブログ | [PR]