![]() 「読んでいる」というくらいだからまだ読んでいるわけです。 作者の宮沢章夫さんという方はかなり、 柔軟な思考の持ち主である。と思う。 「と思う。」と付け加えたのは 「そうでもないぞ」や「そんな作家は知らない」という方に向けた、 言い訳かつ一条の光なのだよ。 …一条の光? 用法を履き違えましたか。 「用法を履き違える」って日本語はないだろ。 用法は履物か?ハヤリのミュールだとでも? ミュールがごとき用法とは。 フェミニンな用法。砂地ではDon't用法。 田んぼじゃ農法。船ならヨーソロー。 くだらん。最後のヨーソローなんて韻さえ踏んでない。 宮沢さんの著作を読むと脱力する。 内容の流れに、自然に任せられるからだろうか。 合わない‘流れ’を持っていたり、 文体に馴染めなかったりする作家は「もう二度と」。 しかし宮沢さんの文章であれば 途中でガラッと調子が変わったりしても難なく読める。 知性は高度、伝達能力もハイレベル。言う事ナシの作家さんだな。 今んとこ極上。 小難しい本を読んでいると賢い人間なんじゃないかとか、 本を持ち歩いているだけで 文系の人間なんじゃないかと思われると困ってしまう。 難解度よりも内容の奇天烈さに注目しているだけだから。 「この本は難しそうだ」と先入観を抱いた時点で読む気は失せる。 文系の人間じゃない、の理由は ただ単に国語の成績が悪かっただけなんだけどね。 口を開くとバカがばれるぞ。 PR ![]() モノグラム、こちらへ行けばメンバー構成などわかります。 http://seal-s.com/ で、音楽はどんなかといえば(いつもこういうジャンル分けで苦しむ)、 テクノ・ニューウェーブ・チラッとプログレ、といったとこでしょうか。 なんだ、コレ全部私のツボだ。 チケットを先行予約しまして、1曲入りデモCDをいただきました。 良くないワケがない(論理無視)。 何度も最初に戻る構成のカラクリが気持ちヨイ。 予約時「MP3でもなんでも作品を発表して下さい。 聴く気あります」とメッセージした所、 「今年こそ!ちゃんとした作品出します」とのお返事。 どうやらモノグラムさんは「出す」と言っちゃあ出していないらしく。 どうしてそう、Hzもだけど、作品を広く聴かせてくんないのか。 セケンでは聴きたくもない音楽が横行してるってのにサ。 ライブはマシントラブルさえなければ、かなりグーでした。 や、マックの再起動の音ってドラマちっくなんですね。 操作してる人にとっては嫌ぁ〜な音だとしても。 久しぶりの中野テルヲ氏はクールで、 同時にどこかユーモアを醸し出していて、相変わらず。 ボーカルの中井敏文氏、困った時の長いMCには ツッコミ役が必要という事がバレました。 お客がツッコむのが礼儀でしょうか? どうやら大阪に行く予定があるようなので、関西人の方、 間がもたついたら突っ込んであげて下さい。 って、言わずもがなですね、きっと。 えと、関東人はですね、オチが来るまで待ってるんですよ。冷たくしてるんじゃなくて。 そんな笑える要素も持ちつつ、スティックの音はめちゃキレイ、 ギターはR・フリップ+平沢進っぽい。 え〜、ダメなとこないです。 夏、秋あたりにライブするかもしれないって事で、気長な待ち合わせ。 気長な待ち合わせと言えば中野テルヲソロライブ。決定。行くぞ。 ![]() 時代劇では『桃太郎侍』が好き(あと『浮浪雲』も)。 桃太郎侍は人の心に棲む鬼を退治してくれる。 人の心には強くも弱くも鬼を作る力があると思う。 わかりやすくは‘疑心暗鬼’。見事に鬼の字が使われてる。 猜疑心はセキュリティのために必要だろうけど、 度が過ぎると疑心暗鬼になる。 世界レベルでは核の問題。 保有国は「どこかの国から攻撃されたらどうするんだ!?」と言う。 端っから核を廃棄してしまえばいいのにねぇ。 ないものは使えないんだから。 たぶん、ある国から完全に核を無くしたと発表があっても 「いや、まだあるに違いない」と 頑固に保有し続ける国が(たくさん)あるだろう。 備えあって憂い無し、ですか。 だから、なければ使えないんだって。 ネットやメールをやっていれば 必ずといっていいほどぶつかる‘解釈の壁’。 言葉の使い方や表現は 個性により変わってくる事が理解されていれば 問題は起こらないのだが、なかなかそうはいかないようで。 どんなに気を遣っても思いもよらぬ場所から パシッ!と「傷ついた」の矢が飛んできたり。 こちらとしては自分のどんな言葉が相手を傷つけたのか、 文面から推測するしかなく、 相手に冷静さが残っている事を望みつつ、 説得を試みるけども大概失敗さ。 で、私が疑問を感じた時どうするかというと、 質問して答えてもらうまで待つの精神。 答えにより解釈を改め、あるいは確信して先に進む。 これで困るのが質問に答えてくれない場合。 勝手に解釈するのは嫌いだし、自分の捉え方にも自信がないから 不安でしょうがなくなる。 結局は逃亡か放置しかできなくて。 このテの不安を理解して質問に快く、正直に答えてくれる人には めっぽう弱い単純思考。 決め付けや思い込みを外して軽々と視点を変えていく方針は 末永く、幾久しく(結納気味)続けて行こうと思う。 *‘解釈の壁’は別にネット世界限定ではないのだけど、 軋轢が浮き彫りになる事件が多々起こるような気がして。 私自身、テキストを使ったコミュニケーションで 壊してしまった関係は少なくない。方々で重箱の隅をつつくような 論争が起こっているのも事実だったり。 ネット世界ではなぜこれほど誤解が生まれ、 関係を新しく変えて行くのか。考えてみようっと。 ![]() ![]() 人間関係で毎度、同じパターンのトラブルが生じる。 私に何かを教えようとする人を頑なに拒否するというパターンである。 頭の上に人間が乗ったら重い。だから落とす。 親切心のつもりなのだろうが、 納得のいかない忠告やアドバイスは大きなお世話なのだ。 というのは、自分の意思に干渉されたくないから。 しかし一人でいる方がマシだと思う一方、 依存心の強さもハンパではない。 表向きどちらかに傾いていても、心底では逆の欲求があるのだ。 こういった複雑な心理を他人が理解する事は容易ではない。 容易ではないからこそ繰り返し弁明を試みるのだが、 相手にすれば「もういいよ」。 悪循環なのはわかってるのに、避ける技術を得られない。 心理学の本を読んだって、経験を増やしたって、 同じ場所を回り続けるだけ。 P−MODELの作品に『SCUBA』がある。 私にとってはかなり‘痛い’物語が展開される。 残念ながらブックレットに収録されていた物語は読めていないが、 歌詞だけでも十分、その‘痛い’感じが伝わってくる。 自我の段階で出会えないなら無意識世界で繋がってやる。 今日はそんな‘痛い’物語を作る平沢進さんの誕生日。 おめでとうございました。 また一緒に、インタラなどで遊びましょう。 ![]() ![]() 忍者ブログ | [PR]
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