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ちょいと前、理性を外してケンカを買ってみた。 結果は‘決裂’。 今までずっと言えなかった事をさらけ出して サッパリした部分は多いにあるけども、 それが決裂に繋がって「後味悪っ!!」という部分もあり。 土手で笑い合う関係じゃなかったんだなぁ。 しかし相手にどんな風に映っていたかを知ったあの時、 かなりの勢いで落ち込んだぞ。 なんでそんなに醜い私に付き合って来れたんだろう、あの人は??? ずっと嫌ってたのに いろんな情がからんでズルズルと過ごして来てしまったのか??? もしそうであれば‘決裂’が救いになるに違いない。 ふぁ〜、ガマンなんかするもんじゃありませんな。 こないだ郵便局のATMでトラブル。 たまたまそばにいた局員さんと原因について話していたら 「今度はお母さんと一緒に来てもう一度」とアドバイスをいただいた。 これは、どう解釈したらいいと思う?(問いかけ) ・私の(精神)年齢をかなり低く見積もっている ・私の母はATMでのトラブルにめっぽう強い。局員さんよりも ・とにかくお母さん もうね、年齢は相応に見てくれなくっていいよ!(諦) でも‘お母さん’はどうなのよ。 私の母はATMの前でアガって泣きそうになるほど機械ものは苦手。 だけどそんな事を局員さんは知らないはずで。 もしかしてセケンでは‘お母さん’は機械に強いのか?局員さんよりも。 確かに子を守る母は強い。 そうか、ATMは命を失わせるほどキケンなんだな。 こんな結論。 食べ物の好き・嫌いはいけないという教えは、 ウチには適用されてなかった。 家族はみな偏食。しかもそれぞれ微妙に違う。 だから、という訳ではなく、元々ウチの教育はユルイんだけども。 なぜ好き・嫌いはいけないんだろう? 今はそんなにうるさく言われないんだろうけど、 私にとって学校での食事は拷問だった。 じんましん出したり吐いたり、私の体調を著しく壊したのに、 教師はマニュアルに従ってるだけだから謝りもしない。 謝らないどころか、吐いて気分を悪くして しばらく保健室で休んで教室に戻ったら、 後片付けをさせたクラスメイトに「お礼を言いなさい」。 しかもおとなしそうなコを選んで。 そういう思惑が子供にわからないと思ってるのか、バカ教師。 でもそれ以降は給食を残してもうるさく言われなくなった。 取り返しのつかないことなんかいくらでもある。 1度家に帰るとか、午後から学校とか、ひとりだけお弁当とかでも、 無理矢理食わされる事を思えば全然マシ。 私が小さい頃母親に望んでいたのはごはんを残す事くらい。 それでも「おちゃわん1杯は食べなさい」って…。 平均的に食べ物ネタは盛り上がるものらしいが、 そんなこんなで一緒に盛り上がれない私です。 私、HPを‘FrontPageExpress’なるもので作成しておりまして、 タグなんぞの知識はゼロです。 当然(?)次々と不備が現れまして、続々と人様に迷惑かけてます。 少しずつ別種の不備を見つけたりして、 学習にはなってると思うんですが、 ‘不備ありき’はマズイ気がします。 マンガ『犬夜叉』を18巻まで買いました。 1巻から、巻末に誘い文句があるんですが、 その誘い文句は18巻まで引っ張るものでした。なげぇよ。 ま、初版が買えるリアルタイムで楽しんでれば こんな事にはならかったさ。 でも一気に読んでしまいたい性格なんでね…。 しかも18巻で終わっているわけではないんだな…。 今P−MODELのアルバム感想文を作ってるんですが、 アルバムを持ってない、聴いた事ない、という人には かなりの不親切になってます。 やっぱり流通させねばイカンですよ。 だから海賊版が流通するんざますよ。 てな事言うと、また売れる・売れないの話になっちゃうか。 とにかく聴きたい人には聴かせられるようにしたらどうなの? 廃盤でもネットからならデータ引っ張れる、とかさ。 まったく、ケチくそ。 選択するには判断基準や優先順位というものが関わってくる。 これまで生きてきて自分に有利な不利な、 優位な劣位な結果を残した選択の記憶を引き出して。 っつーわけで、 平沢ファンである私は早くもインタラの話につなげますけども。 インタラは簡単に言ってしまえば集団心理の公開実験みたいなもん。 そんなにファン同士を繋げたい? なのに平沢さんは紗幕の向こうなのね。 たぶん、インタラ前のBBSでは 毎度‘選択の自由’に関する様々な意見が交わされるんだろう。 そりゃそうだ。個性の強いファンばかりなのだから。 しかし、‘選択の自由’はどんどん奪われてるような気がする。 今回(『賢者のプロペラ』)、 ハッキリと到達すべきエンディングが用意されていた。 必要なのは物語に入り込む気持ちだけで、 「選択が偏るのはつまらないんじゃないか」、 「エンディングがなんであれ、その時選びたい」 など、物語の外に立つ意見は必要とされていなかった。 私自身はひとつの目標に向かう事を受け入れていたので 選択が偏っても構わなかったし、 迎えるならハッピーなエンディングを、と願い、 その通りの展開を楽しむ事ができたが、 そうではない人達の選択権は奪われ、 楽しさも激減してしまっただろうと思う。 平沢さん自身が通常の、曲を演奏するだけのライブに 興味を抱いていないのかもしれないけど、 インタラに足を運ぶ人間が減っても知らないぞ。 「通常のライブやってくんないから、インタラ行く。しょーがないから」 と思ってる人、いるんじゃない?わかんないけど。 ファンが協力してひとつのエンディングを迎えたという実験結果を どのように活用するか、楽しみ。 あ、私の選択基準はおもしろいか、おもしろくないか、だけ。 インタラの物語ってかなりじゅ〜よ〜(重要)。 でもなんだか、平沢さんに試され続けるのって結構疲れる…。 おもしろいけどね。 忍者ブログ | [PR]
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