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懐かしいなぁ〜、有頂天。 平沢さんのプロジェクトに関する、いろいろな意見を読む。 私は正解を求めないし、 平沢さんの考え方とイコールでなくても構わなかったりするので、 おもしろく思っている。けども。 「エコロジーと何が違う?」と疑問に感じている人は少なくないようだ。 それは‘CO2削減’などの言葉が使われたからだろう。 でも、エコロジーじゃない。 地球を保護する、という姿勢がエコロジー。 地球に保護されている、と気づき、 太陽とセッションするのがヒラサワ・エナジー・ワークス。 太陽とのセッション=エコロジー? 環境への配慮が全くないとは言わない。 でもその配慮の‘質’や‘姿勢’が違う。 (引用します。問題がある場合はお知らせ下さい) “Hirasawa Energy Worksは、 「環境保護」や「地球にやさしい」という言葉を好みません。 保護されているのは我々だからです。 Hirasawa Energy Worksは、 その保護者へとアクセスするための、胸踊る探検なのです。” この部分が一番大切なんじゃないかなぁ。 どうも、ハッタリばかり注目されて 感覚的な部分が見逃されてる気がする。 音楽本来の役割は何か、本来の自然との関わりは何か。 こんなの、平沢さんがずーっと命題にしてきた事なのに。 と、私は思ってるけど、これが正解だとは思っていない。 個人個人が自分なりに考えていけばいい。 その自由が許されているからこそ、 平沢さんからの具体的な説明はないのだと思う。 隅々まで説明しちゃったらリスナーの想像力や感受性が腐ってしまう。 作品を、平沢さんから「このように聴くものだ」と説明されたら イヤだってば。 作品はリスナーに届いて完成するって、誰かが言ってた。 PR 昨日はテクノロジーに傾いた解釈をして、 GPにも書き込んできたんだけども、 思考のお遊びはジャマだったかもしれないなぁ (フォローしてもらった!アリガト!)。 ヤラシイ話、太陽光を使う事でチケット代が少しはお安くなるのかな? いったい、会場はどこだ? Windowsの‘XP’って、‘色素性乾皮症’の事かと思ったよ。 エナジー・ハンティングの方法、さっさと知りたいもんだ。 平沢さんのプロジェクトが刺激になって脳みそに毛が生える。 シンプルな事を難しく難しく考える人にとっては恰好の育毛剤。 なんだ?この例え。 太陽といえばジュリーの『太陽を盗んだ男』が 9月21日にビデオ・DVDで発売される。 特典(ポスター、ブックレット、ボーナスディスクなど)はDVDのみ。 世の中はそういう事になってるのか。 『モンティ・パイソン』のシリーズ(ビデオ)を全部揃えると、 特典の壁掛け時計がもらえる。 そしたら届いた時計と一緒に 「DVDでボックスセット発売」のお知らせが入ってて脱力。 世の中はそういう事になっている。 ひじを蚊だかブヨだかに刺されて真っピンク。 虫に刺されたその箇所が真っピンクになるってのは アレルギーなんだろか。 日に当たらない病的な白さにピンクの虫刺され跡。 どっかに送られないように隠さねば。 平沢さんの新たな試み。 方法はまだナゾ。 ネタを小出しにするのはエンタテイメントの基本。 スケジュール見ながら あれこれと思考をめぐらすのもいいんじゃないかと思う。 私はめぐらしようがないからめぐらさないけども。 今のトコ、意味や目的を ‘本来の自然との関わりを思い出す’にしている。 意味や目的なんて、私は特に必要としてないんだけども。 「今まで電気使ってたけど、今度は太陽エネルギー使うよ」 ってだけなんだから、 エコロジー的発想と距離を置きたくなるのはわからないでもない。 偽善者にはなりたくないもんね。 「音楽やってるやつは不健全」と いじめられてきた過去を覆そうとしている気がしなくもない(笑) テクノはテクノロジーのテクノ。 太陽光をエネルギーとして貯めて作品やライブに変換という ‘エネルギーの原野でのピクニック’、 とってもテクノな発想じゃないすか。 「科学技術が地球をダメにした」と言い始めたのがエコロジー? だったらここらでリベンジ。 『ポンキッキーズ21』を見てたら! 白いチワワが「明日があるさ」でパラパラ踊ってた!総CG攻撃! は〜、子供はアレ見て喜んでるのかなぁ〜? ちっさい頃、「パタパタママ」で驚いてた。 よく見るとママはスパゲティに紛れたミミズ食っちゃってて。 気づいた時にゃ「ぐっ」となったもんだ。 絵が「およげ、たいやきくん」と同じで、 登場人物みな子門真人みたいだった。 ひさしぶりに見たんで、ちょいとノスタルジー。 詳しくはココ。 『Hirasawa Energy Works』 新しい遊びを提供してくれた喜び。 それが作品にも反映されるありがたみ。 エコロジーとは無縁の企画という事はしっかりと把握しておきたい。 現在、エネルギー源を身近に感じる事は少ない。 このPCに提供されている電力はどこからやって来た?知らない。 ブレーカーが落ちた時くらいしか‘提供されている’と気づかない。 消費するばかりの自分が、わずかながら エネルギーを媒介できるというのは、いい自己満。 これはボランティアとは違う。ボランティア的なるものがエコロジー。 このエナジーワークは ‘本来の自然との関わり’を思い出せるものでは? そもそも私、ピクニックさえした事ない。おもしろいのかなぁ? 今はまだアイデア披露の段階。 今後発表される作品群 (P-MODELボックスセット、新解釈平沢ソロ『Solar Ray』など)、 期待のみして不安はしない。 手法がなんであれ、 でき上がった作品の質が受け入れられるものならそれでいい。 グチのコーナー。 自分の心もわからないのに他人の心がわかってたまるか。 飽きずに心理テスト。 簡易版“モーズレイ性格検査”(キテル度がわかる検査)というもの。 これはネット上のものではないので紹介はできず。 で、一番最初の結果は [内向的、神経症的傾向大]。 二度目は[神経症的傾向少]。 なぜ同じ問題で二度やったかといえば、 ウツの時とそうでない時とがあるから。ソウはないみたい。 たいていの人がそうだろうけど、 いつも同じコンディションなわけじゃない。 ウツもそうでない時も、 同じ私から発せられている心理なのだから、両方アリ。 テストに使われている言葉、 ‘当然’や‘必ず’に疑問を抱くかどうかで状態が違う。 ウツの時はストーカーさんだそうです。おっかないですね。 そうでない時は、相手によっては鈍感と受け取られるほど こだわりがないらしく。 ‘当然、絶対、必ず、〜でなければならない、 〜ねばならない、〜すべきだ、〜なはずだ’ こういった言葉を日常的に使う人を敬遠する。 鈍感な私を許してくれないからだ。くそ。 20年ほどS・スピルバーグとS・キューブリックが 共に暖めていたという作品。 私はスピルバーグ作品の「どう?すごいでしょ?」と SFXやらCG技術を見せびらかすとこや、 人情に訴えるとこが苦手なのだけれど、 キューブリックのテイストが感じられる部分があるなら、観たいなぁ。 ロボットに‘愛する’をインプット、これは哀しさももたらすらしい。 ‘愛されない’も理解できてしまうし、ロボットは‘忘れる’もできない。 これまでのいやぁな出来事を全部、美化・風化させられず、 いつでも新鮮て、辛い。 そのあたりがどのように展開されるのか。 なぜロボットをヒトに近づけようとするのか? (ヒトっぽくないものの方が多いけども) かつてイルカを爆弾探査かなんかに使っていたという。 今でも地雷探査に犬を使っている国がある。人災もある。 そこでヒトがヒト的機械(う〜ん、『ブレードランナー』)を作れば、 生命を奪う事無く、危険な作業も自分の感覚で 遠隔操作(う〜ん、『ビッグボディ』)できる。 ただ、ヒト型である事が同情を呼びそうな気配がしないでもない。 ヒトに近い哺乳類だから、知能が高いから、 それだけでクジラやイルカを守る人達がいるけども。 ヒトを頂点にした考え方だよなぁ。 動物を殺してはいけないと野菜を食べる人達は、 野菜にも生命がある事を忘れてるみたいだし。 こういう人達のエコロジーは保身(あるいは罪滅ぼし)で、 愛ではない感じ。 忍者ブログ | [PR]
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