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あらすじ: 1944年スペイン。 内戦で実父を亡くした読書好きの少女は身重の母親と共に、 義父であるゲリラ殲滅の指揮を執る大尉のいる山奥へと 招かれるが、そこには入ったら出られないとされる迷宮があった。 結末を予感させるシーンからスタート。 軍とゲリラとの緊迫した状況、 母親の危険を伴った出産という厳しい現実面と 少女の体験する幻想世界とがパラレルで進行する。 さすがのヨーロッパ製。残酷で暗い。 そしてファンタジーを信じないと、とても悲しいラストが訪れる。 信じないから悲しい。エーン!(>_<) まぁ泣いてないけど。顔文字も無理して使ったけど。 今まで観て来た妖精や精霊が出るファンタジー映画は 中世で描かれる事が多かった。 これは珍しく近代で、2006年に公開されたとはいえ、 レジスタントがヒーローっぽく描かれており、 現在の共産主義台頭を予感したような設定。 大人のエゴがいかに子供を深く傷付けるかを 訴えているようでもあるし、 有体のファンタジー映画とは一線を画しているように思う。 <本日の考え過ぎコーナー> 「ファンタジーを信じないと悲しいラスト。信じないから悲しい」 と云った。 父喪失、母再婚、鬼のような義父、不安定な社会の中で、 安心出来る場所を持てなかった少女に取って空想世界が 受け止めきれない現実からの避難場所だとすれば、 目の前に理不尽な死が迫った時、あのもう一つの世界は 一瞬にして脳が見せた最後の甘い夢ではないかと思ったのだ。 そんな解釈をせず、 まんま少女があっちの世界で幸せに生き続けるとしても、 それは観客の為に用意された、つまらない慰めという気がする。 突然命を奪われたり、心身に深い傷を負った人々を救うのは 自らの想像力しかないのか? 想像世界に閉じこもるのはきっと幸せだ。 しかし、それは現実世界で得られる幸せから遠ざかる という事でもある。 ファンタジーは多分に心を支えてくれるが、 その扱いには気を付けなくてはならない。 祈・世界平和。 PR 頭上にある照明を写した。やはり人工の光は弱い。 元旦にBBSで切れかけの蛍光灯の話をした。左から二番目。 カバーは経年劣化で割れた。調節するヒモも切れた。いつも三本。 別にズボラさ加減をアピールしたいのではない。 いつも座っているのはこの照明の真下。 今日の夕方、レッスンから帰ったら 昨年末に替えたばかりの右端の一本が落ちていた。 割れなかったのは下に服が置かれていたから (↑脱ぎ捨てたのじゃなく、着替え)。 もし座っている時に落ちて来たら確実にパーン!と行ってたろう。 頭の周りに星とヒヨコがピヨピヨだ。 よく俳優さんなどで 「舞台の照明が落ちて来たけど間一髪」の話があるが、 カリスマ度の違いだろう、私の場合は蛍光灯一本。 ほぼ九死に一生を得た。 街を歩いていて何度か、 すれ違いざまに価値変換された事がある。 屈辱だが、女性には珍しくない出来事である。 私の例。 1.一時期、渋谷のON AIRでのライブが多かった。 その内の二回、道玄坂からラブホが乱立する道への曲がり角で ボソッと「満塁ホームラン」と言われた。 2.深夜、駅からの帰り道で「20万」と言われた。 どちらも結構な価値に変換してもらっている。 だが、多くの男性は本気で惚れた女以外には極めて冷酷である。 彼らは普段から私のような 非モテをからかって楽しんでいるのだろう。 春の売買は遺伝子レベルででも残っているのか、絶える事が無い。 映画『やわらかい手』感想 WOWOWで鑑賞。放映前に数分解説があり、 主役を演じたマリアンヌ・フェイスフルの略歴が語られ、 そこで図らずもSCHAFTがカバーした 「BROKEN ENGLISH」のオリジナルが流れた。 といって歌うシーンは無い。 重病にかかった孫の為に風俗で働いてでも大金を用意した祖母。 それに対し、息子夫婦のなんと幼い事か。 ラストに向かい、俗世間への依存で負っていたストレスを 次々に捨てて解放されて行く姿がとても爽やかだった。 自分が変われば周りも変わる。 風俗店主が「日本式だ」と紹介した形態に 「えっ、そんなに長いの?」と思ったけど、 そんな質問に答えてくれる人はいない。女に生まれて残念。 謹賀新年。 昨年の大きな出来事。身近な所では上田現さんの逝去。 曲を聴いて楽しむだけの立場だけれど、 絶対的に新作が生まれないというのは大きな喪失だ。 遠い場所でも無関係とはいえない民族紛争、 大量虐殺、宗教弾圧、侵略戦争…言葉数々あれど、 全ては一人一人の生命を軽んじる、恥ずべき愚行。 これらは何度年が明けようとも無くなる気配を感じない。 世界恐慌もジワジワと。 悲しく狂った世界に住んでいるからといって、 今日届いた友達からの「ママンになります」報告に 祝いの言葉を遠慮したりしない。 おめでとう。 祝うべき事は祝い、憂うべき事は憂う。 何年も前から手を付けられずにいるのは 平沢進支援ページ内「words」とP-MODELライブ感想文作成。 これを今年の目標にしようかな。 特徴ある声を持つ方々(アニメ声とか)に対し、 どんな風に空気振動を変えているのかと考える事がある。 ヘリウムガスを吸った哀川翔さんの声に 大して変化が生まれなかったのを見て、もしかしたら振動ではなく、 空気の成分を変えてるんじゃないかとも考えた。 また、声に個性を持たせている生物学上の理由は何かとか。 5年以上付き合いのあった友達に電話した時、 「どちら様ですか?」と聞かれたくらい、私の声には特徴が無い。 声の整形という話は聞いた事ないが、 将来、可能な時が来るかもしれない。 *** 今年の『M-1』は期待していたザ・パンチとU字工事が 緊張による不出来で悲しく散って行った後、 クスリとも来なかったNON STYLEが高得点を出した時点で 一気に興味を失ってフテ寝、目を覚ました時には番組終了。 「もし優勝者がNON STYLEだったら 私の中で八百長疑惑発生」と思いながら出勤、 仕事場で流れるラジオから提供された情報は正にそれであった。 自分が笑えなかったから疑惑を抱いたのではない。 優勝候補だったナイツが下ネタを入れたり、 ザ・パンチが他の番組では控えめにしていた 「死んで〜」を使ったり、 U字工事が茨城に気を遣い過ぎて 栃木LOVE効果を下げてしまったり、 NON STYLEの紹介VTRが いかにも吉本売出し中!な感じだったりで、 ある方向に定めた計算が見えたように思えたのだ。 番組が力を持つと演出も過剰になる。 今回は上沼恵美子さんに向けられた女優ライトが その代表と云えるかもしれない。 飛ばし過ぎだろ、あれ。 忍者ブログ | [PR]
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