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食べ物にだけは困らない我が家の玄関に置かれていた、
新盆用に使われたと思しきお供え物の内、
バナナとデラウエアが腐りかけていた。

父は用があっても口を開かない人で、
この食べ物群もデン!と放置されていた。
何も言われない為に、誰かに渡すものなのか、
キッチンに運んでいいものかと悩み、三日ほどして整理したのだが、
その多くを片付ける(=食べる)のは私だ。

グレープフルーツやオレンジといった柑橘系は体質に合わず、
とはいえ食べれば口の端がかゆくなる程度だけども、
片付けなければ腐ってカビが生えるまで放って置かれてしまう。

大体もらい物というだけでテンションが下がるんだよ。
食べる物は自分で選びたい。

だったら食べずに捨てたらいい。んだけど、
・食べ物を無駄にしてはいけない
・いただき物はありがたく頂戴すべし
といった強迫観念(道徳ではない)に従っているので難しいのだ。

本心では直で生ゴミ処理機にポイ!
庭の肥やしを作りたい。

***

この頃は女としての役割(出産)を意識したり、
恋愛ボケみたいな発言をしていたけれど、
理屈ばかり先行しちゃってて。
適材適所だ、無理すんな。

ところでアゴを触るのは心理学的に「私を見て」のアプローチだそうで、
私のクセじゃないですか、それは。
触り心地良いだけのもんなのに、そんな事言われたら。
ささやかな楽しみだったのに…気を付けよう。
こうしてプチ強迫観念は増えて行くのでありました。

…BBSやら雑記やら、めちゃめちゃ文章作ってるよね。
もうダダ漏れ。

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思考の流れに忠実に。

エンズや平沢さんの情報を探してネットを徘徊。
そこで辿り着いたBBS(の過去ログ。2000年でした)で、
ある書き込みを巡ってお叱りがいくつか。
その対象は訪問者を不快にさせるに十分な内容だったから
異論はないのだけど、常識を盾に説得を試みるのは
いかがなものかと個人的に。
それはだから、数を味方に付けるという事で、
「きったねぇ〜」って思っちゃう。
自分以外の誰かの言葉を借りてるようで、空々しく、不誠実だ。
少なくとも、私はそう感じる。
ま、それは懐疑的なものの見方をするからかもしれないけど。

時々現われる「他のファンを威嚇するファン」。
「私は特別なのよ」ってね、実際に恋愛関係にあるのだとしても、
バカのする事だよ。
増してやファンの恋愛感情を煽ってお金集めて活動してる
ミュージシャン(orスタッフ)なんか1日も早く舞台から去って欲しい。
自分の音楽に自信持ちなさいよ。

覚醒剤使用で岡村靖幸さん逮捕。
どこかのBBSだかブログだかで
「ダイエットに使ったの?女子高生かよ!」
ってツッコミがあって笑ったけど、
様々なプレッシャーに負けたのだろうか?

覚醒剤とは違うけれども、酒もタバコも、
こういう、感覚を麻痺させて、
しかも中毒性のあるものは腹が立つんだよね。
感覚器官を支配されるなんてまっぴら。すべて素で受けたい。
何かを頼って正気を保とうとしてる時点で無理してるよ。

「でも私の代わりがいないから休めない」、それは傲慢。
いざという時の為に仕事を譲っておくのも親切のひとつ。

「子供を産んだら自由がなくなる」、
その自由の為に後継者を犠牲にする訳だ。
いつまでも自分を主役にしてるけど、
生命の抱く履歴を遺伝子に託して未来を譲る気にはならないの?
何歳まで生きるつもりだろう、
私(笑/誰よりも一番に自分にツッコミ入れないとね)。

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・2012年度オリンピック開催地はロンドンに決定、
アフリカ支援を訴えたLIVE 8、G8も行われ、
これは何か起こるだろうと思っていた。
同時爆破テロ。
亡くなった方々の冥福を祈ります。

イラクに干渉するアメリカに同調してればどこの国だって標的。
支援目的で派遣された自衛隊も、当地では住民同士の対立
(自衛隊支援の人々がデモを計画した所、脅迫されて頓挫)
を生むような情報錯誤は根強く残っており、
実際に攻撃もされている。
それでも小泉さんはサマワを非戦地帯と言う。

・映画
『丹下左膳 百万両の壷』(2004年日本)
監督:津田豊滋 
出演:豊川悦司、和久井映見
駄作。

『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』(2002年アメリカ)
監督:ジョージ・ルーカス 
出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン
世界観と支持に頼り過ぎ。それを抜けば平凡な恋愛映画。

・仕事場で家の事を根掘り葉掘り探られる。
こういう、情報で固めて安心したがるのって女性特有だと思う。
誰にもペラペラ話せるような、素晴らしい家庭環境ならいいけど、
ウチはどこに出ても恥ずかしい家だ。
等身大ワイドショーは迷惑。すごく迷惑。

・仕事場で作業台との高さを調節する為に足を広げたら
(胡蝶蘭の鉢植えを、針金を曲げて成型させる立ち仕事)、
傍にいた人に「やっぱり柔らかいね」と言われる。
90度の開脚でも立ってられないという。
それは硬過ぎるんじゃないか?
そういや仰向けで寝てたら、
つま先が180度開いてるのを指摘された事もあった。
物拾うにもひざ曲げないし、人によっては異常に映るかもしれない。
「気持ち悪い」と言われたショックをバレエで癒してるのかな。
…悲しくなってきた。

・ギリギリになってアナログからデジタルへのアンテナ工事。
父親も私もこういうものから逃げるので、
去年12月の不在通知を見て見ぬ振り。
結局母に頼むあたり、
家族はお互いに必要と思える人間を
無意識にでも選んでるのだな、と思う。
離婚してるけど。

・ストレス解消法として、睡眠と食とに分かれるという。
ずっと両方だったが、片方にした。
どっちかといえば、睡眠。節約出来るし。

・私の住む町で七夕祭りが開催されている。雨でも人出がある。
七夕飾りと出店が並んでいるだけだが、
人は楽しそうにその道を何度も往復する。
祭りらしく、女子は色気ムンムンだ。

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親の虐待に耐え切れずの殺人事件。
「それは殺意芽生えるよね」と理解を示したら、
殺人を認める事になるだろうか。
子供にとって親は絶対的な存在で、それを悪用すれば、
それに見合った関係を築くのは容易に想像できる範囲。
明かに自分より弱い立場にいる人間をいじめるヤカラは
家族だけでなく、学校でも会社でも、社会を営む場に存在する。
そのヤカラにも因縁がある。

もどかしい状況を変えるのは誰だ。といえば自分だろう。
どこにいても、どこに行っても、問題は次々に現われ、試される。
「自分さえガマンすればいいのだ」の犠牲はストレスになるばかりで、
悪感情のループから脱せられない。
突破口は直接の、あるいは全く無関係の他人を殺す事ではない。
誰かの意志に縛られた自分を解放出来るのは自分だけ。

(と、簡単に云うなよって方もいらっしゃるでしょう。
 確かにエスカレートしっぱなしの人とかいますもんね。 
 単純に、相手を変えようとするより
 自分を変えた方が早いと思ったのです)

彼らが執着していたのは常識と思しき‘親からの愛’だろうか。
しかし親こそが愛に飢えていたのではないか。
求める愛が与えられない、思い通りにならない苛立ち。
思いやりの全くない、利己的な要求。
お互い様だ。

日々報道される事件の内、
「殺害動機は(ネットの)日記を読んで下さい」と言った犯人がいた。
アピール手段としての日記は沢山ある。
彼の場合は
徐々に本人に直接言えない恨み言を並べて行ったようで。
最後は後に引けないよう、言い聞かせるように
殺意を強化させていたように感じた。
誰かが読んでいると意識していたなら、
心のどこかで「止めてくれ」と願っていたのかも。

『はや朝』(フジテレビ)を横目で見てたら、
「夫が優しくなったと思ったら、
ネットで私の悪口を日記に書いていた」と、
奥さんからの手紙を紹介していた。
夫は日記を読まれたと知り、キレたそうで、
まぁ、「読んだとしても言うなよ」って感じだ。
それが夫への思いやり。

社会生活において、発言の機会を与えられる人は少ない。
話相手が限定されているのも、狭苦しく感じる。
そこを離れられるのがネット。
日本語でしか発信出来なくて、まだまだ世界は狭いけれど、
私は快適。
人が口をつぐんでしまうようなアレやコレも知れて、面白いじゃないか。
でも殺人はダメだよ。

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はい、ヒマです。お休み中です。
私は胡蝶蘭の鉢植えに携わっておりまして、
花が咲かないとお仕事にならないんです。
ヒマ過ぎて文章垂れ流しです。

また町山さんの日記が荒らされてました。いちいち知らせるなって?
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

6月21日分、22日分なんですが、
ひどいイチャモンに本気で返す所が好きです。
掟ポルシェ。さんの時にも思ったんですけど、
「わからない子にわかるまで(or黙るまで)付き合う」って凄いですよ。
私は不毛を感じ取ったらすぐさま放棄しますから。

こういった、議論と程遠い言い合いは嫌なものですが、
わからない子を諭すような返信は勉強になります。
沢山の情報ソースを引っ張って来てくれて、
ありがたいじゃないですか。
それを中傷で返すというのはどういう了見なのでしょうか。

その行動に意味があるとすれば‘ストレス解消’だと思うのですが、
名前や顔を確認出来る場所でも
同じような態度で人と接しているのでしょうか?
そういった輩は「相手にするな」というのが大方の意見でしょうが、
単なる道具でしかないネットでも、
変わらぬ環境・状況が繰り返されれば、
ストレスとして蓄積していくと思うのです。

自分を変えるのは自分だけれど、
外部からの刺激もスイッチになりえます。
その役割を担わされる著名人は本当に、
気苦労が絶えないだろうなと、気の毒に思うのです。

と、対岸の火事を野次馬並みにしか見る事の出来ない私が
偉そうに嘆きました。

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